こんにちは、yurinです。
ヤマトタケルの旅を続けていくうちに、「霊峰を仰ぐ」
みちのくの霊峰の一つが蔵王連峰です。
「刈田嶺(かりたみね、
目次
3つの刈田嶺神社のちがい
実は私も、こちらの地図を見て、刈田嶺神社というものがいくつかあるので、どこにいったらいいのか?はじめは、
そして、それぞれの由緒を知り、場所を確認して、
長野県の諏訪大社と同じですね。
それぞれの時代ごとに、
さて、これから3つの「刈田嶺神社」についてお話していきますが、混乱してしまうかもしれないので、カンタンにちがいをお伝えしますね。
・奥宮の刈田嶺神社
・里宮の刈田嶺神社
・馬場の刈田嶺神社
1.奥宮の刈田嶺神社
最初に奥宮の刈田嶺神社ですが、場所は刈田岳にあります。
蔵王連峰 刈田岳
立派な鳥居です。
2.里宮の刈田嶺神社
次に里宮の刈田嶺神社ですが、場所は東山麓の遠刈田(とおかった)温泉にあります。
※こちらは温泉の写真です
3.馬場の刈田嶺神社
最後に、馬場の刈田嶺神社ですが、場所は刈田郡蔵王町馬場にあります。
祭神は日本武尊です。
ちがいを何となくつかんでいただけたでしょうか。
蔵王の神霊を祭る刈田嶺神社
古くみちのくの霊峰の蔵王連峰は「刈田嶺(かりたみね、
今も御釜で有名な主峰(1785m)の名称になっています。
蔵王連峰は、東北地方の南北の背骨のように連なる奥羽山脈の南部の連峰です。
最高峰の熊野岳は1841mです。
山形県と宮城県の境界をなして、それぞれの側を区別して「山形蔵王」「宮城蔵王」という名称もあります。
山頂の刈田嶺に奥宮を祭り、東山麓の遠刈田(とおかった)温泉に、里宮があります。
蔵王連峰の山麓には、数々の縄文時代の遺跡がありますから、噴煙をあげる刈田山や御釜信仰は、古来の信仰なのでしょう。
考えてみますと、塩竈神社の摂社の、御釜神社の神釜にいつも満々と水がたたえられているのも、この蔵王のお釜のイメージがしてくるのですが、あなたはどう思いますか?
蔵王の名称は、平安時代に役行者(えんのぎょうじゃ)の一族が、奈良県吉野山の金峰山の蔵王大権現を分祀してからの名称とされています。
それで刈田嶺神社でも「蔵王大権現」の立派な鳥居が立っています。
神霊は、夏季に刈田岳の奥宮(「蔵王大権現」の鳥居の神社)に遷り、
刈田岳
冬季に麓の里宮に遷るとされています。
南東北の霊山として崇められてきました。その山々から流れる白石川に白鳥が飛来します。
遠刈田温泉の里宮はこじんまりしているけど、古来の人々の信仰を感じさせました。
地元の人が古くから信仰してきたのは、この神社かしら!と思いました。
今は温泉情緒があって、雰囲気いいです。
さらに蔵王山から流れる松川と、白石川の合流点の一キロほど手前に「刈田嶺(かつたみね)神社」(刈田郡蔵王町馬場)があります。祭神は日本武尊です。
土地の人々は「白鳥大明神」または「白鳥様」と呼んできました。
かつては背後の青麻(あおそ)山頂(799m)に祭られたそうです。
蔵王連峰(左)、青麻山(右)
「大刈田(おおかった)山」と呼ばれていました。
「青麻(あおそ)」は、奴奈川姫のブログでも書きましたが、
古代人は「麻の布」を神にも捧げたのです。青麻(あおそ)
【アオソ】ワンポイントレッスン
青苧、青麻とかいて、どちらも「あおそ」読みます。
アオソという言葉が、
社伝によれば、日本武尊が陣を置いた地で、のちに日本武尊が祭神とされ、仲哀天皇時代に刈田郡の当主(国造)に対して詔が下され、白鳥神社を合わせ祭ったといわれます。
延歴20年(801)年に坂上田村麻呂は、刈田郡の白鳥神社を訪れ、社殿を整えて東征成就を祈願しています。
貞観11(869)年には、従四位下に昇格し、『延喜式』の名神大社に列せられています。
伊達政宗の重臣の片倉家からも手厚い守護を受けた神社でした。
境内には「白鳥古碑群」という石碑群があります。
本殿は宮城県の文化財、随神門・絵馬・白鳥古碑群・神楽は、
刈田嶺白鳥大明神 本殿
随神門
随神門(拡大)
絵馬
白鳥古碑群
町の人たちが、
白石川の流れるこの地方は、
日本武尊は、みちのく統治のための仮宮(かりみや)
ヤマトタケルと白鳥の結びつきは、
「刈田」という地名の由緒の記事はこちらから