瓊瓊杵尊と木花開耶姫命の伝承地 都萬(つま)神社

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こんにちは!yurinです。

都萬(つま)神社は『延喜式』の日向国四座(都農(つの)・都萬(つま)・江田・霧島)の一社で、日南市の都農(つの)神社につぐ二の宮になっています。

『続日本後紀』(六国史、869年)の第54代仁明天皇(在位833~850年)の時代、「日向国子湯郡妻神(ひむかのくにこゆのこおりつまのかみ)、官社に預かる」とあります。

平安時代の当初に朝廷から幣帛を捧げられて重んじられていたことがわかります。

 

その後この地を統治した伊東氏、島津氏からも尊崇され、古代からの尊崇は今日まで続いています。

瓊瓊杵尊と木花開姫命の伝承地

都萬(つま)神社のご祭神の木花開姫命(このはなさくやひめのみこと)は、天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と逢初(あいぞめ)川でお見合いされ、お二人にまつわる伝承地が多いようです。

  • 新婚の宮殿:八尋殿(やひろどの)
  • コノハナサクヤヒメが三皇子を火中で出産:無戸室(うつむろ)
  • 三皇子に産湯をつかわせた場所:児湯(こゆ)の池

などあります。

 

宮崎県中央部の西都市地域は、平安時代の『和名抄』では児湯郡(こゆのこおり)です。

「こゆ」の名称は、木花開姫命の皇子を浸かった産湯に因んでいるのかもしれませんね^^

日本の婚礼儀式の始まり

七夕更衣祭は、事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさのかみ)の仲人により、お嫁入りした古事そのままのお姿をおつくりする神事です!

わが国の婚礼儀式の始まりとか。

都萬神社の年間75回の祭事の中でも、最も重要なお祭りとされてきました。

 

古代においても別々の氏族同士の婚姻は、戦国時代の政略結婚さながらおごそかに行われたのでしょうか。

婚礼の前日に、神職・「桜の式部」といわれる巫女などの関係者は、高鍋町堀の内の海岸まで出向いて「浜下(はまお)り」の禊(みそぎ)を行います。

 

「浜の磐坂(いわさか)」という古来の磐座(いわくら)で衣装を改め、男性はふんどし!と鉢巻を身に着け、女性は白い浄衣姿で、

「天つ神国つ神 橋みそなわせ おもいさけびて 吾がなすわざを」

と神歌を歌い禊(みそぎ)をします。

再び磐境(いわさか)で厳粛に神事を行い、都萬神楽を奉納し、翌日の祭典に備えるそうです。

 

そしていよいよ翌日、木花開姫命のご神像に婚礼衣装をお着せし、白粉(おしろい)や口紅でお化粧、角隠しの御被衣(おかつぎ)を飾り付け花嫁姿になられる有様を偲びます。

婚儀を調えて入内するまでの様子を再現したという古式ゆかしい神事です。

 

氏族の結びつきを強固にする婚姻がとどこおりなく行われ、子孫に恵まれることを願った古代の人々の切実な思いが蘇ってくるように思える神事です。

縄文時代の土器からわかる交流地域と婚姻

話しは飛びますが、縄文時代の土器は、かなり遠隔地へ伝播して各地域どうしの交流を伺わせます。

それは、離れた地域同士の男女の婚姻を示唆するものではないでしょうか?

 

結婚適齢期の男女の人口は、同じ集落内ではかなり限られていたでしょうし、遠隔地の人々と交わることは、遺伝学的にも適切であると古老の経験で認識されていたかもしれません。

 

天皇家のご先祖は、遠方の女性と婚姻を結んでいます。

瓊瓊杵尊と木花開耶姫命の結婚式に思いを馳せて、古代妄想は駆け巡るのでした。

火中で無事に3人の御子を出産した木花開姫命

とどこおりなく結婚した木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)でしたが、なんと!瓊瓊杵尊の御子を一夜で身ごもったことから、夫の不信をかってしまいます(泣)

怒った木花開耶姫命は、戸口の無い産屋を作り火をかけて、誓約(うけい)をします。

 

『日本書紀』に、次のようにあります。

私のみごもった子が天つ神の御子でなかったら、必ず焼け死ぬでしょう。天つ神の御子であれば必ず元気に生まれるでしょう。

 

木花開耶姫命は、火の炎がメラメラ燃え初めて明るくなった時に、火明命(ほのあかりのみこと)を出産しました。

さらに炎が燃え盛った時に火進命(ほのすすみのみこと、またはほすせりのみこと)、炎が衰えて終わりかけた時に、火折彦火火出見尊(ほおりひこほほでみのみこと)を出産されました(大拍手)

  • 火明命(ほのあかりのみこと)
  • 火進命(ほのすすみのみこと、またはほすせりのみこと)
  • 火折彦火火出見尊(ほおりひこほほでみのみこと)

 

「ほのあかり」「ほのすせり」「ほおり」は、耳慣れない難しいお名前に感じますが、火がともり始めて鎮火するまでの様子をあらわしたとわかれば、親しみがわきませんか?

 

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の娘に「須勢理姫(すせりひめ)」がいます。

大国主命との一途な思いを貫く、燃え盛る炎のように意志の強い女性です。

 

そして数多くの妻を持つ大国主命(おおくにぬしのみこと)の正妻として、誇り高い女性です。

「すせり」という古語も身近に感じてきますね。

安産・子育て・火山の鎮火の神様として信仰される木花開耶姫命

こうして瓊瓊杵尊と結婚した木花開耶姫命は、めでたく3人の皇子を出産されて、立派にお育てになられたことから、縁結び、安産、子育てと絶大な信仰を受けてきたのです。

木花開耶姫命は、富士山などの火山にも祭られます。

火中出産の逸話は、霧島山の活発な火山活動の中で、無事に皇子を出産してお育ててしたことを象徴したのでしょうか。

 

都萬神社の境内には「日本酒発祥の碑」もたっていました。

『日本書紀』では木花開姫命は精米で美酒を醸して、三皇子をお祝いしたとあります。

「神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)は、神にお供えする稲を作る神聖な田を占いで定め“狭名田(さなだ)”といった。その水田の稲で天甜酒(あまのたんざけ)を醸造して、神と共にお飲みになられ、また渟名田(ぬなた、神聖な水田)の米を炊き、神と共に召し上がった」

 

火中で出産された木花開耶姫命の神話に因んで、日本画家の川崎日香浬先生が、上越市の陀羅尼(だらに)八幡神社の子安社の天上画を描かれています。


「水炎桜乱の図」

これについては「越の国の旅6古代も石油が豊かさをもたらした?」で書きましたので、合わせてお読みいただければ幸いです。

都萬(つま)神社は木花開耶姫をお祭りする神社ということで、「桜と火」で姫をイメージした日香浬先生の幻想的な絵画から期待がふくらみ、ぜひとも参拝したい神社でした。

都萬神社のご紋は桜です。

七夕に願いをこめて結婚式をあげ、災害に負けずに懸命に出産して子育てをした木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。

西都市から遠く離れた新潟県上越市でも信仰を集める木花開耶姫命を、ぜひこの地の人々も知っていただきたいですし、『古事記』の神々のご縁の広がりを願ってやみません。

 

今年の始めにブログで書いた川崎日香浬先生の新潟県妙高市のアライリゾートの個展に、先日、高円宮久子妃がご来臨されたそうです!本日は綾子さまもお越しになったそうです。

★古代高志の国の奴奈川姫を中心に古事記の神々を古典日本画に描く川崎日香浬屏風絵展
https://www.lottehotel.com/arai-resort/ja/hotel-offers/events/2018-12/kawasaki-hikari.html

個展は、3月末まで、週末の金・土・日に日香浬先生は会場にいらっしゃるそうです。

ご興味のある方は足をお運びくださいね!

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