八坂瓊勾玉を作った玉祖命を祭る玉祖(たまのおや)神社【2】

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こんにちは!yurinです。

こちらの記事のつづきです。

景行天皇・仲哀天皇・神功皇后が行幸された要衝の地

玉祖(たまのおや)神社の神職の方から、

「ここは要衝地なのです。九州と本州を海上で渡れますし、ここから内陸の道をゆくと出雲方面へでられます。古道になっていました。この地で、出雲勢力と拮抗するように争っていたとみられるのです。それで玉祖命は派遣されたといわれます。」

とお伺いしました。

 

境内には社頭掲示板とは別に、英語と日本語の両方で書かれたオシャレな「ビュウースポットやまぐち」の掲示板もありました!

例大祭で行われる「占手神事」は、仲哀天皇と神功皇后が軍の吉凶を占ったのがその起こりと伝わっており、山口県の無形民俗文化財に指定されています。

要衝地の拠点集落には、次々と重要人物が訪れる、とは各地に足を運んで知ることでした。

 

高天の原勢力と出雲勢力の争いを治めるために、玉祖命は派遣され、その後、12代景行天皇、第14代仲哀伊天皇と神功皇后も、この神社を訪れて神事を施行していたのです。

 

『日本書紀』第12代景行天皇の12年、

熊襲が背いて朝貢しなかった。

(略)天皇は筑紫に行幸された。

(略)周芳(すわ、周防。山口県)の娑婆(さば、防府市佐波)に到着された。

とあります。

おそらく熊襲は定期的に租税を納めてこなかったものとみられます。

定期的に税金を納めるシステムを理解させるには、相当の年月と根気が必要であったでしょう。

景行天皇は、熊襲(大和朝廷に従わない南九州の豪族たち)を大和朝廷の統治機構に組み入れるべく、断固として征西に向かったのでした!

 

その時に周防国の娑婆(さば)に着いた、とあるのが本州の西端の防府市佐波(さば)です、佐波川が流れています。

佐波川の右岸の台地に玉祖神社が建っています。

 

古くは周防灘の浅い入江の葦(あし)の茂る湿地にのぞんでいたと考えられています。

古墳群が分布する玉祖郷(たまのおやのさと)といわれていました。

神社の北西の300メートルのところに景行天皇が行宮(かりみや)を置いたという「宮城森」があります。

背後の山は神体山として拝まれてきたそうです。

景行天皇の行宮の宮城森(高い木のある所)

景行天皇はこの地で北部九州の現地情報を入手し、尖兵隊を派遣し視察させます。

すると現地の神夏磯媛(かんなつそひめ)という一族を従える女性が参向しました。

鏡・玉・剣を榊に飾り参上する九州の豪族

『日本書紀』は次のように記します。

磯津山(しつやま)の賢木を根ごとに引き抜き、上の枝には八握剣(やつかつるぎ)、中の枝には八咫鏡(やたのかがみ)、下の枝には八坂瓊(やさかに)を取り掛け、また白旗を船の舳先(へさき)に立て参上した

とあります。

神夏磯媛(かむなつそひめ)は、現地の反乱を起こす人々について直訴したので、いよいよ景行天皇は、九州に渡ります。

 

天皇は、ついに筑紫に行幸されて、豊前国(とよのみちのさきのくに、福岡県東部と大分県北部)の長峡県(ながおのおがた)に到り、行宮を立てて居住された

それでその所を京(みやこ、福岡県京都郡北部・行橋市)という

とあります。

 

さらに第14代仲哀天皇の時代にも熊襲が背いて、征討に向かったのですが、その時も周芳(すわ)の娑婆(さば)が出てきます。

(福岡県遠賀郡芦屋町付近)の県主(あがたぬし)の祖熊鰐(わに)は、天皇の行幸を承り、あらかじめ枝葉の生い茂った賢木(さかき)を、根から掘り起こし、

九尋(ひろ、一尋は両手を左右に広げた長さ)の舟の舳先(へさき)に立て、上の枝には白銅鏡(ますのかがみ)、中の枝には十握剣(とつかのつるぎ)、

下の枝には八坂瓊(やさかに)を掛け、周芳(すわ)の娑婆浦(さばのうら)にお迎えに参上した

とあります。

北九州の豪族が海を渡り、防府市まで榊(さかき)の木に鏡・剣・玉を飾り、天皇と皇后一行をお迎えします。

「鏡・玉・剣」のセットは天皇家だけでなく、九州地方の豪族の間にも浸透していたことがわかります。

 

神職の方は次のように話して下さいました。

「北部九州の東側から船に乗ると、流れにのって自然にこの辺りに着くのです。玉祖命は最前線の基地に派遣されたわけです。」

九州から本州に渡るときの最短コースとして、下関~門司の関門海峡を渡るルートとは別に、防府市~行橋市の海上の道も、古代に利用された重要ルートの一つとみられるのです。

その本州側の要衝地に玉祖命が派遣され、やがて玉祖神社が祭られ一の宮になっていくのももっともなことと思われます。

忌部氏や出雲玉作りと別系統の玉祖命

玉祖神社の神職の方の話はつづきます。

「玉作りというと、出雲や忌部氏といっしょに考えられる方が多いようなのですが、それとは別の系譜のようです。『古事記』に書かれています。」

「どこからいらしたのでしょうか?九州ですかそれとも大和ですか?」

「九州から来たと聞いています」

なるほど、古典に書いてあるとおり、天孫降臨したのも高天の原も、畿内大和を起点に考えるのでなく、やはり九州地方とみてよいのでしょう!

つまり筑紫の勢力と出雲の勢力がこの地で拮抗していたものと、みられます。

 

『先代旧事本紀』では、饒速日尊と下った三十二神の一柱として、事湯津彦命(ことゆつひこのみこと)がいます。

阿岐(安芸、あき=広島市付近)の国造となった氏族とも関わり、厳島神社の神職とも係るようです。

比婆山方面でも、この神さまを祭る神社がありました。

ルーツや実体が不明な神様のなのですが、その実像に近づけたように思えてきます。

 

さらに出雲の玉作りとも忌部氏とも違う玉作りの系譜、というお話しも意外でした。

玉作りといえば出雲や忌部氏が浮かびますが、確かに五伴緒神をきちんと読むと忌部氏の祖の「天太玉命」と「玉祖命(たまのおやのみこと)」と分けて書かれています。

 

古く越(こし)の玉作りの人々の中で、九州へ渡った工人、出雲へ渡った工人、と別々の系譜があったのかもしれない、さらに丹念に古典を考証しなくては、と思いを新たにします。

国指定天然記念物の黒柏鶏(くろかしわけい)と常世(とこよ)の長鳴き鳥

玉祖神社の見どころとして、むしろこちらの方で参拝される方々が多いのかもしれません。

「黒柏鶏(くろかしわけい)」です。

天然記念物  日本鶏  黒柏鶏発祥地の石碑

社前の由緒書きの掲示板には、次のようにあります。

黒柏鶏(くろかしわけい) 指定 昭和二十六年六月九日

黒柏鶏は長鳴鶏に属する日本古来の鶏で、鳴き声は七、八秒から長いもので十秒に達する時もあります。

「黒柏」の名前が示すとおり羽毛は全身黒で、脛(はぎ)やくちばし、足、爪も暗鉛色です。

 

雄の耳朶(みみたぶ)や鶏冠は赤いですが、黒が混じることもあります。

雄の鶏冠はほとんど黒くなります。

黒柏鶏の由来や系統については、同じ長鳴鶏の品種である「小国」、「唐丸」とのつながりや、ヨーロッパ系種の関わりなどともいわれていますが、現在でも詳細はわかっていません。

 

しかし明治以降、多くの日本鶏が姿を消した中で黒柏鶏の存在は貴重であるといえます。

山口県・島根県で地域を定めない形で指定されており、

防府では玉祖神社をはじめとして市内数ヶ所で飼育されています。

 

平成二十二年七月七日 山口県教育委員会 防府市教育委員会

実は拙著『先代旧事本紀現代語訳』でも、この神社の鶏のフォトを挿入したかったのですが、その時は本で読んでいただけで、参拝したことがなく手元にありませんでした。

それで石上神宮の鶏のフォトを代わりにしました^^

鶏は各地の神社の境内ではしばしば目にします。

 

それはやはり天の岩戸神話で、天照大神の御魂(みたま)を呼び寄せようと、思兼命(おもいかねのみこと)が鳴かせたという、「常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきとり)」の故事に由来するものと考えられます。

 

一方で、諏訪大社の大祝(おおほうり)の即位式をする社に「鶏冠社」があったり、飛騨や越後の神楽で「鶏冠」をかぶったり、はたまた縄文時代の越後の十日町の火焔土器のデザインに「鶏」の考察もあったりします。

彌彦神社にも、日本古来の鶏が奉納されていました。

 

日本古来の鶏を大切に飼育する玉祖神社からは、なんとも日本神話や神道祭祀の奥深さを感じてしまいます。

……はてさてどんな鳴き声かしら……?

期待をふくらませるものの、ふと気づくとお昼どき。

 

「鶏が鳴くのは朝早くよね。こんなお昼どきに来ても、鳴き声は聞こえないね^^」

と、半ばあきらめて、せめて姿だけでも拝ませていただこうと鶏舎に近づきました。

鶏舎では、大きさごとに幼鳥から成鳥まで、いくつかの部屋に分けて飼育されていました。

黒光りして輝く羽毛は、なんとも神々しく、深紅のとさかが映えて実に美しく麗しいです。

 

近づいていくと、なんと!

「コケコッコ~~~~~~~~~~」と鳴き声をあげました。何度も鳴いてくれました。

実際の鳴き声はこちら↓↓※音量には注意してください(2回鳴いてくれたところを公開しています)

 

「NHKが取材に来て、2,3時間待っても鳴かない時もあったんですよ!」

と神職の方。

千葉からはるばる訪れたそのワンチャンスに、高らかに誇らし気な鳴き声。

感激して、目頭が熱くなってしまいました(大拍手)

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