高千穂の峰に天孫降臨した瓊瓊杵尊のその後

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こんにちは!yurinです。

南九州の高千穂の峰に天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこ)は、大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘の木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と結婚しました。

お二人の新婚生活を送ったとされる地が宮崎県西都市の都萬(つま)神社です。

木花開耶姫命をお祭りします。

結婚式に因む七夕更衣祭というロマンティックな神事が伝わっています。

 

神社所在地の西都原(さいとばる)には350基以上の古墳があるとされ、全国屈指の大古墳群です。

西都原古墳に隣接する都萬(つま)神社

『日本書紀』では、天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、

「吾田(あた)の長屋の笠狭(かささ)の碕(さき)にお着きになられた」

とあります。

瓊瓊杵尊は、鹿児島県西部の薩摩半島の南さつま市の野間半島付近にまで達したようです。

 

薩摩半島周辺に居住する人々を吾田(阿多、あた)の隼人と呼ばれ、吾田はこの地方の呼名でした。

瓊瓊杵尊は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を妃とします。

神吾田津姫(かむあたつひめ)とも呼ばれていました。

 

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、南九州の西部の「笠沙前(かささのみさき)」にまで達し、薩摩国一の宮、鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市の新田神社に祭られます。

新田神社の鎮座する神亀山(しんきざん)が、神代の瓊瓊杵尊の可愛山陵(えのやまのみささぎ)とされています。

瓊瓊杵尊は鹿児島県西部地方とのゆかりが深そうですが、宮崎県西都市付近の伝承から、当初は東方の宮崎県にも宮が置かれとわかります。

 

初期天皇の時代は代替わりごとに遷都しましたが、一代の間に何度か遷都することもありました。瓊瓊杵尊も南九州地方で何度か宮を遷したものとみられます。

神々が降臨するのは高い山々ですが、おそらくはその山々から流れ出る河川の流域一帯を統治し、その象徴として山を仰いだものでしょう。

 

あるいはその山を仰ぐ地域を治めたとも考えられます。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は高千穂連峰(霧島山)を仰ぐ南九州南部の地域を統治したとみられます。

 

そして瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が宮をおいて、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)との新婚生活を過ごしたとされる地に鎮座するのが西都市の都萬(つま)神社です。

船材として尊ばれる楠の巨樹の神域

都萬(つま)神社の境内には楠の古木が目立ちます。

樹齢千年といわれる巨樹は国の天然記念物です。高さは約40mで「妻のクス」といわれます。

楠は『古事記』神話の神々の中に、

鳥之石楠船神(とりのいわくすぶねのかみ、自由に空を駆け巡ることができる鳥のように、海や河川を進む丈夫な船の神)あるいは「天鳥船(あめのとりふね)

と記されます。

東国三社の息栖(いきす)神社のご祭神は天鳥船神(あめのとりふねのかみ)でした。

 

楠の木は畿内大和では、あまり目にすることがないですが、九州方面は楠をご神木にしている神社が目立ちます。

神話のふるさとは、やはり筑紫の島であったでしょう。

 

都萬神社には、境内に生える樹齢千年以上の楠(くす)の巨木の一部をくり貫いた「千年楠の洞洞木(どうどうぼく)」という木洞(もくどう、ほら穴)があります。

「木洞で慎み・畏まる、通るの意」から名付けられたそうで、この中を作法通りに潜り抜けると夢がかなうとされています。

 

都萬神社や西都原古墳群を流れる一ツ瀬川流域は、西部の山塊から流れ出し、海から内陸へ10キロ以上の船運があったとされます。

西都原博物館には船の埴輪が展示されていました。

『魏志倭人伝』の投馬(つま)国に比定される西都市妻地域

都萬(つま)神社は、西都原古墳群で名高い西都(さいと)市にあり、神社の鎮座する地は古墳群に隣接します。

所在地も「西都市妻(つま)」という地名です。

 

その「妻」地名に因んで、西都市付近は『魏志倭人伝』の「投馬(つま)国」に比定されます。

投馬国の官名には「弥弥(みみ)」「弥弥奈利(みみなり)」があります。

 

西都市の北方の日向市には、宮崎県には耳(みみ)川、美美津(みみつ)などの地名があります。

美美津(みみつ)港は神武天皇の皇軍の大船団が出航したと伝える名高い港です。

逆にこうしたことから考えて「投馬国」の読み方はいろいろ取沙汰されますが「つま国」と読むのが適切なのではないかと思う次第です。

 

かりにも7万戸の邪馬台国に次ぐ5万戸もあったとされる投馬国です。

「つしま」「いき」「まつら(まつうら)」などの地名は、2000年近く今も残っているのです。

「投馬国」の人々が国名を失い、雲散霧消したとするのは、不自然と思います。

「投馬国」「邪馬台国」も現在残っているありふれた地名で読むべきと思います。

 

因みに関東地方の茨城県には那珂(なか)川が流れて、下妻(しもつま)市があります。

『魏志倭人伝』に出てくる国名全国に拡散しているようです。

 

それぞれの国の人々の移動とともに、地名をもたらしたものと考えています。

「つま」は、筑紫の島の北部から、南遷した瓊瓊杵尊がもたらした地名かもしれませんね^^

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