「伊勢神宮(いせじんぐう)第2回」勉強会でした

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こんにちは!yurinです。

この間の日曜日に開催された古代史日和勉強会テーマは「伊勢神宮」でした。

伊勢神宮に何度も足を運び、自然、建物、神職、参拝客の方々にふれて、えみ子先生ならではの深い考察をお話しくださいました。

見落としてしまったものを再び訪れて確認したくなるのはもちろんですし、そして何度でも清らかな五十鈴川の御手洗場(みたらしば)で手を濯(すす)ぎたくなりますね^^

伊勢神宮(内宮・外宮)の総数は125社

前回は、伊勢神宮の正式名称、ご正宮(しょうぐう)いわれる、皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)について、お社(やしろ)の造りなど、ひととおりのことを伺いました。

今回は、その2社だけでなく、たくさんのお社(やしろ)からなっている、大きな神社としての伊勢神宮の成り立ちについてです。

 

内宮は、皇室の祖先神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祭りしますが、ご神体は八咫(やた)の鏡です。

神道では、仏教とちがって、神々の像を崇拝することはないのですが、そのかわりになるのものとして「ご神体」といわれる宝物があります。

 

一方の外宮の祭神は、豊受大御神(とようけのおおかみ)で、内宮鎮座の500年後の創建とされます。

第21代雄略天皇の夢に、天照大御神のお告げがあり、お食事を司る御饌津神(みけつかみ)を、丹波の国からお迎えするように、というものでした(『止由気宮儀式帳』)。

 

今の京都府宮津市の丹後の国一宮の元伊勢籠(この)神社の真名井(まない)神社をはじめ、周辺にはいくつか、その地ではないかとされる神社があります。

神社の創建には、「ご神託」というものがしばしば現れますが、これはその当時の統治者の思いを代弁してものであったのでしょうか?

雨の日も風の日もお食事を捧げる神職

外宮の御饌殿(みけでん)では、毎日朝夕に神饌(しんせん、お食事)をお供えする祭事、すなわち、日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)が、行われます。

御饌殿(みけでん)は、天照大神にお食事をお供えする館です。

 

天照大御神が召し上がるご飯を炊くのは、神域の清浄な井(泉)の水を汲んで、古来の発火方法で火を起こして調理したものを、御饌殿(みけでん)でお召し上がりいただきます。

 

御饌殿のある外宮と、内宮は6キロも離れています。

「天照大御神は、毎日、お食事を召し上がりにいらっしゃるのですか?」とお伺いすると、「はい」とのお答えでした^^

1500年の間、雨の日も嵐の日も休まずに淡々と続けられてきたのでした(スゴッ!)

 

「お食事は台風の日も運ぶのですか?」と、これもまた念入りに、えみ子先生がお伺いすると、「はい、そうです」とのこです(スゴッ!)

伊勢湾台風の時は、衣服も飛ばされ流されそうなほどの暴風雨の中でも行われたのでした。

神職たちはずぶぬれになりながら、風呂敷でお食事をお包みして、バケツリレー式にお運びしたそうです^0^!!

 

……なんとも、神道祭祀の奥深さと、神職の方々の誠実な奉仕ぶりに、頭が下がる思いです。

こうして、古代の人々の神々への思いと祭祀は、連綿と継承されてきたのでした(大拍手)

伊勢神宮の社の中で人物をお祭りするのはたった一社

伊勢神宮は、2つのご正宮(しょうぐう)のほかに、上位から順に、別宮(14所)、摂社(43所)、末社(24社)、所管社(42社)があります。

合計125社の総称が、伊勢神宮です。

 

その中で別宮の風日祈宮(かぜひのみのみや)は、風の神の「級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)をお祭りする社で、もとは「摂社」でした。

ところが元寇(1274年、1281年)が襲来した時、国を挙げて祈願し、「神風」を吹かせて、元軍を追い払ったことから、神階(しんかい)があがり「別宮」に昇格したのです(大拍手)

 

注目すべきは、さまざまな伊勢神宮の社の中で、人物をお祭りするのは、なんと!倭姫命(やまとひめのみこと)を祭る倭姫宮(やまとひめのみや)の、1社だそうです!

神宮ななぜ伊勢にあるのか?

天照大御神(あまてらすおおみかみ)や豊受大神(とようけおおかみ)の実在については、いろいろ議論されるところです。

少なくも倭姫命(やまとひめのみこと)は、第11代垂仁天皇の皇女として、『古事記』『日本書紀』で「人物」として記されています。

そしてその皇女こそ伊勢神宮の内宮の鎮座に関わったのです。

 

天照大神はそれまで宮中にお祭りされていました。

『日本書紀』によると、第10代崇神天皇の御代、災いが続き御殿を共にすることに恐れを抱いた天皇が、大御神にふさわしい場所でお祭りするように、皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひえのみこと)に奉仕させ、宮中から離したのです。

 

大和の笠縫邑(かさぬいのむら)といわれ、今の三輪山麓の檜原神社をはじめ、いくつかの地がそうだとされています。

それらは「元伊勢」と呼ばれます。

その後、第12代垂仁天皇の皇女の倭姫命(やまとひえのみこと)が、豊鍬入姫命と交代して、永遠の神事が続けるにふさわしい地を求めて大和から出立したのです。

 

従者とともに大和~伊賀~近江~美濃~伊勢などを巡ります。倭姫命が伊勢に着いた時、天照大神は神託を下しました。『日本書紀』には次のようにあります。

「この神風の伊勢の国は、常世の(とこよ)の波の重波(しきなみ)寄する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。この国に居らむと欲(おも)う」

(この神の風が吹く伊勢の国は、まさしく永遠の理想の国です。一方に山々があり、一方には海原がひろがる麗しい国……この地に住み続けたいものです)

 

こうしてついに伊勢の五十鈴川の川上にふさわしい地を見つけ、天照大神の宮(内宮)として鎮座したのでした。

 

『皇大神宮儀式帳』には『日本書紀』で記すよりも多くの、倭姫命の巡行地をあげています(14か所)。

『倭姫命世記』はさらに詳細な記述があります。

こうして倭姫命が巡行した地は「元伊勢」と呼ばれて、近年パワースポットとして、参拝者が増えています。

斎宮制度と式年遷宮

倭姫命のように、古くから天皇の代替わりごとに、未婚の皇女が「斎王(いつきのみや)」として伊勢で生活し、天皇に代わって天照大御神にお仕えしました。

人選は占いによってなされたそうです。

神の妻として独身で過ごし、天皇の代替わりと身内の死の穢れの時にだけ、交代しました。

 

斎王(いつきのみや)といっても、本来はふさわしい皇族の妻となり、母となり、一生を送る人生もあったのです。


貝合わせ「妻問い」川崎日香浬氏

しかし自由な恋愛はかなわないのです。

 

花も実もあるお年頃の乙女たちですから、周辺の者たちとの自然な恋心も湧き、あるいはそれを秘めて、伊勢へ下ったのかもしれません。

そして悲恋も伝わっています。

 

第26代の雄略天皇の時代、楮幡皇女(たくはたのひめみこ)は、家臣の廬城部連武彦(いおきべのむらじけひこと)との不貞の疑いを讒言(ざんげん)されてしまいます。

相手の身内は、恐れて武彦を殺してしまいます。

そして楮幡皇女(たくはたのひめみこ)も、八咫(やた)の鏡を持ち出して、五十鈴川の川上に入水してしまうのでした(大泣)

 

こうした悲恋も伝わる斎宮(いつきのみや)制度は、源平合戦(1180年頃)には中断し、その後復活したものの、南北朝時代(1330年頃)に64代で廃絶しました。

 

斎宮歴史博物館が三重県多紀郡明和町にあります。

また伊勢神宮には、20年に1度、社殿を建て替えて神のお住まいを遷し、ご装束や神宝などの調度品を新しくする「式年遷宮」があります。

これは神明造(しんめいづくり)という社殿の耐久性、精神や技術の継承から考えられた、適切な年数であるといわれています。

 

内宮外宮の古い鳥居は、宇治橋の鳥居として使われます。

そして必要な調度品は徴古館(ちょうこかん)に収納される以外に、各地の特別な神社に下賜されたりするそうです。

多くの自然神を祭る神域

実は伊勢神宮の125社は、明治に発願されて創祀された倭姫命宮以外は、自然の神々や、井戸・酒・米・塩・麻などの衣食住をつかさどる神々が祭られているのでした。

伊勢志摩地方は、日本列島の中でも、温暖で風光明媚、海の幸・山の幸に恵まれて、まさしく皇室の祖先神をお祭りするにふさわしい大自然があります。

 

一見すると政治的思惑が見え隠れしてしまいがちですが、伊勢神宮を勉強してみると、むしろ豊かな大自然の恩恵を受けて、自然とともにある神域であることが実感されます。

そして女神さまならではの、人間生活における衣食住の大切さを感謝する神域であるように思えるのです。

 

今回で伊勢神宮勉強会は一区切りですが、これからまた何度でも伊勢神宮を参拝して、考察を深めていきたくなりますね。

遠いお伊勢参りにはなかなか行けないので、身近にある大神宮を参拝して、いろいろ思いを巡らしたいと思います。

 

「東京や神奈川の神宮にも、それぞれの由緒や歴史があります」

とえみ子先生。

「五十鈴川の御手洗場(みたらしば)の石畳みも、あの徳川将軍家の桂昌院が築いたものと思いを巡らせると、思いが深くなりますよね」

とも。

なるほど、清らかな水の方へ目が奪われていましたが、今度はしっかりと石畳のフォトも撮ってこようと思いました。

…………

伊勢神宮はもちろん、東海道五十三次の踏破、壱岐の旅、宗像大社の沖ノ島遥拝……えみ子先生を囲んで、旅の思い出を語り、cafe会も弾みました^^

めずらしいお菓子、懐かしいお菓子を頂戴し、そこからも思いが広がり、みなさまに心からお礼申し上げます。

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