21世紀型の国学者の安本美典先生『先代旧事本紀』講座完結!

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こんにちは!yurinです。

先月2月13日、約8年間にわたった、安本美典先生の『先代旧事本紀』(朝日カルチャーセンター横浜教室)の講座が終了しました(大拍手)!

40年かけて『古事記』『日本書紀』などの上代古典の文献考証続ける

安本先生は、今から40年前に、朝日カルチャーセンター新宿教室で『日本書紀』の講読を開講されました。

毎週1回、土曜日の2時間です。

それからまもなく、今度は横浜教室で『古事記』の講読も開講しました。

こちらは毎週火曜日の2時間です。

以後、『風土記』『古語拾遺』『続日本紀』『万葉集』の難訓歌、中国の『倭国伝』そして『先代旧事本紀』まで、約40年に及んで上代古典の文献考証の講座を続けてこられました。

その間には『古墳』や『邪馬台国』の特別講座もあったりしました。

吉野ヶ里遺跡が発掘されて脚光を浴びたころには、安本先生vs古田先生の論戦もあったのです!

(古田武彦氏は古代史研究家。著書に『「邪馬台国」はなかった』)

 

一つの講座は、ここ4〜5年は、月2回、月1回になっていきましたが、それまでは、ずっと月4回×2時間のペースでした!

振り返ってみますと、カルチャーセンターでは、古代史・国文学の先生が次々と入れ替わっていく中で、これほど長く講座が続いた先生は、稀有(けう)なのではないでしょうか?

大学の授業と違って、カルチャーセンターの講座は、講義が面白くなければ、受講生が集まらずに消滅してしまいます(大汗)。

先生の古典講座には、それだけ人々を引き付ける魅力を持ち続けたのでしょう(大拍手)

本居宣長と並ぶ大国学者!?

古代学者の安本先生は、なんといっても広い意味での「国学者」でもあると思います。

江戸時代に興隆した国学は、現在の国文学・国語学・歌学・歴史学・地理学・有職故実・神道祭祀・哲学など、幅広い学問を包含するものでした。

中でも国学者の礎となり本領といえるのは、地道な古典の文献考証です。

 

しかし第二次大戦後の敗戦後に『古事記』『日本書紀』の歴史資料的価値は失墜し、神武天皇も日本武尊も神功皇后も架空の人物という解釈が横行してしまいました。

こうした時代に上代古典と真剣に向き合い、淡々と文献考証されたのは、安本先生と皇學館大學の田中卓先生くらいではないでしょうか。

安本先生の「統計学的年代論」「邪馬台国」「古墳」など、数々の著作の根底には、上代古典の地道な文献考証の蓄積があってのものです。

安本先生の資料は毎回10~20枚

そしてそれこそが、ちまたに流布する邪馬台国論者や古代史論者との大きな違いだと思います。

単なる空想の世界と「文学性」が強調されがちな『古事記』の内容に、歴史や考古学の背景を探究するという醍醐味をご教示くださったのです。

 

ですが、それは平安時代の『日本書紀』の解釈の講義に始まり、江戸時代の国学の興隆の時代を経て、第二次大戦前までは、普通になされてきた主流の古典解釈でした。

 

さらに先生は「歴史は総合の学である」との信念から、「数理文献学」という理科的分野を国学に加えて、新たな古代史解明の研究方法のフロンティアになられたのでした。

まさしく21世紀型の国学者といえるのではないでしょうか。

古典の「もののあはれ」

先生の講座では、毎回の授業の始まりの30分前に、受講生が交代で自由に話しをします(自由参加ですが、ほとんどの方が参加していらっしゃいます。

受講生の発表資料

皆さん、意気込みがあって、10分→15分→20分→30分と、徐々に延長されていきました。

もちろん、先生も30分前にいらっしゃいます。

 

その始めの頃の発表で、

「安本先生は、本居宣長と並ぶ、大国学者になると思います。」

と、私が申し上げると、教室の皆さんが、いっせいに笑い出しました!

真剣に言ったのに、どうして笑われちゃったのかしら?と、今でも考えるのですが……(大汗)

本居宣長の名前を聞くだけで、アレルギーをもよおすを方もいらっしゃるのかもしれません。

 

ですが、それについては第二次大戦中に、本居宣長の皇国史観の部分だけが利用され過ぎたことも、差し引いていただけたらと願っています。

宣長が大切にした「もののあはれ」とは、中国の儒教道徳(からごころ)に染まる以前の、人間の本来持っているありのままの素直な心です。

 

『古事記』『源氏物語』そして和歌にこそ、その素直な真情がある、としたのでした。

三重県松阪市の本居宣長記念館には、宣長の膨大な古典研究の軌跡が残されています。


本居宣長記念館入館券

 

「国学」という新たな学問を希求して学徒たちが集まった、本居宣長の旧宅「鈴乃屋」も保存されています。

当初は、和歌を学びたい、と集まった人々でした。

しきしまの  大和心を  人とわば  朝日ににおう山桜花

((しきしまの)大和心とはなんですか、とたずねられたら、それは朝の日に映える山桜の花のようなもの、とこたえましょう)

山桜と新緑

(長野県の小川村にて)

江戸国学の道を歩む師と弟子たちの光景に、思いを馳せていただけたらうれしく思います。

江戸国学の発展は今のカルチャーセンターに似ている

本居宣長のエッセンスは、古典の文献考証です。

35年の長い歳月を費やして『古事記』の注釈書を書きました。

不朽の大著『古事記伝』44巻です。

 『古事記伝』巻九  崇神天皇の段  注釈(左の小文字)・本文(右)

その作業は、コピ―も図書館もない時代に、世の中に散在する写本を求めることから始められたのです。

 

わずか原稿用紙2枚にも満たない本文の読みと解釈に3年半を費やす、というところからのスタートです。

それほど古典の解釈は、地道で困難なものでした(大汗)

その本居宣長の業績のおかげで、『古事記』の解釈は進みました。

 

江戸時代の国学者にとって、やはり250年の天下泰平こそが、上代古典の解釈に向かうゆとりの時間と客観的な思考の土台になったのでしょう。

安本先生は、『古事記』の写本を集めることから始めなくてもすんだので、他の多くの古典の文献考証まで、広く手掛けることができたのです(大拍手)

 

時代と出版社の要請は「邪馬台国」であったのですが、本当なら『安本美典の古事記』『安本美典の日本書記』……が、あっても良かったと残念です(泣)

 

安本先生は

「僕も、本居宣長をはじめ、江戸時代の国学者と似ているところがあると思っているんです。

江戸時代の国学の興隆は、今のカルチャーセンターと似ています。

賀茂真淵や本居宣長のもとに、歌や古典を教えてほしいと、自主的に集まった人たちの動きから国学が誕生して興隆したのですから。」

と、おっしゃいました。

まことに安本先生が大学という閉鎖的な場所だけでなく、広く一般人に開放されたカルチャーセンターで、古典解釈をご教示くださったのは、私には大変に幸運でした。

 

先生は、上代古典の解釈を、それも2時間の授業で、古典の本文が2ページ進むかどうかというほど、入念に考証されます。

語句の意味、動植物、服飾、系図、地図、年代論、江戸時代や平安時代にさかのぼっての学説、そこに最新新聞記事、考古学の発掘成果を取り入れます。

 

ありとあらゆる上代古典や古代史講座をめぐったという受講生の方も「これほどの入念な古典解釈される先生は、他におられない」と、おっしゃっています。

共感するばかりです。

私も大学の国文学科に在籍し、おおよそ上代古典の講義や講座の様相は推測できましたので。

 

平和な時代に学問の自由は保障され、女性に門戸は開かれました。

『古事記』『日本書紀』『風土記』などの上代古典に何が書いてあるのか知りたい、という欲求は尽きません。

そして安本先生だけが、その欲求に答える古典解釈の講座を、たんたんと続けてこられたのです。希有の業績です!

上代古典の豊穣の世界を伝える

先生の地道な文献考証から、開かれる古代の世界は、無限の豊穣の世界として広がっていきました!

自分には当たり前にあるような安本先生の上代古典の講座でしたが、あとから振り返ると、地域も時代も恵まれていたことを感謝したくなります。

横浜教室で『古事記』が開講されて、うれしさいっぱいの帰り道に、お花見した日も遠い思い出として蘇ってきます。

いろんなことがありました。

安本先生と生徒さんが、ヒートして論戦になったり、はたまた講座に通う受講生同士で論戦になり、安本先生が、まあまあと、間にはいったり(大汗)

特定の大学という場以外で、これほどたくさんの受講生の方々とふれあい、支持されてきたのは、それも先生の学説とお人柄のなせる賜物と思います。

 

先生は受講生の質問に積極的に答えてくださるタイプの先生です。

どんなつまらない質問も、その質問のどこがおかしいのかまでふまえて、適切に返答してくださる明晰さと論理性が拝察され、感服します。

 

定年されると、それきりの先生もたくさんいらっしゃいます。

国文学関係の講座が、以前より少なくなってしまっている時代のようでもあります。

 

そういう時代に、たんたんとマイペースを貫いて、上代古典の文献考証をされ続けた先生に、心の勲章をさしあげたいです。

 

教室の皆さんでささやかな気持ちとして、花束と記念品を贈呈しました。

何十年も通われていらっしゃる受講生の方から、お礼の言葉と花束が差し出されました。

「……引き続き、『万葉集』20巻4536首の講座も楽しみにしています」と。

先生には、実に思いがけなかったようで、はじける笑顔が輝いていらっしゃいました(大拍手)

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