「関東の神様たち~一の宮と東国三社~」の勉強会でした

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こんにちは、yurinです。

2月の古代史日和勉強会はえみ子先生の『関東の神様たち 一の宮の神社と東国三社』でした。

 

長野市から初参加の方!も常連のリピーターの方々も身近な関東の神様だけに興味津々。

「一の宮ってよく聞くけど、由緒は?」「香取・鹿島のほかに東国三社ってどこかしら」……

 

神社についての知識だけでなく、体験に基づいたお話しが面白くわかりやすく、自然と引き込まれます。

(今回は神社について知りたいと参加した夫の感想と、えみ子先生の資料からまとめました)

平安時代に3000社近い八百万の神々を祭る

神社は、神様をお祭りする神聖な場所で、日本固有の宗教である神道(しんとう)の信仰に基づく祭祀施設です。

「八百万(やおよろず)の神々」といわれる多神教が特色です。

 

神社の数は、平安時代(927年)の『延喜式』「神名帳」に2,861、記載されています。

その頃すでに朝廷に認められているだけで3000社近くあったのですね!

 

現在は全国に約85,000あります。神社で祭られる神様が「ご祭神」です。

 

  • 自然神(太陽・月・星・嵐・霧・海・山・川・岩…)
  • 人格神(歴代の天皇や皇族、、氏神、英雄…)
  • 機能神(天地創造神話の神神々、農業・漁労・航海・武神、食物神…)

参拝の方法は、明治以前は神社ごとに異なっていたようですが、明治以降は多くの神社で「二拝二拍手一拝」です。

一方で出雲大社・宇佐八幡・彌彦(いやひこ・やひこ)神社などでは「二拝四拍手一拝」ですし、伊勢神宮の神職の方は「二拝八拍手一拝」です。

「一の宮」の由緒と関東の一の宮

「一の宮」とは平安時代から鎌倉時代初期にかけて整えられた一種の社格です。

現在は日本全国で108社あります。

 

神社の歴史で基本になるのは1,100年前の平安時代の『延喜式』「神名帳」です。

「一の宮」は「神名帳」に記されている当時の国ごとに有力な神社です。

 

当時の律令制度の68か国に「一の宮」「二の宮」「三の宮」などがあり、上野国(群馬県)ではなんと!「一の宮」から「九の宮」までありました。

……ですが、時代と共に一の宮が入れ替わったり、一つの国で「一の宮」が2社以上ある例もあります。

 

身近な「関東の一の宮」と主な神事は以下の通りです。

  • 下野国(栃木) 日光二荒山神社・宇都宮二荒山神社

 

  • 上野国(群馬) 一之宮貫前(ぬきさき)神社(名称に必ず“一之宮”を入れる)

〈鹿占(しかうら)神事……鹿の肩甲骨を焼いてヒビの入り方で翌年を占う神事で毎年12月8日に施行。現在鹿占神事は、貫前(ぬきさき)神社と武蔵御嶽(むさしみたけ)神社の二社だけで行われているが、武蔵御嶽神社は非公開。古代の太占(ふとまに)か〉

一之宮貫前(ぬきさき)神社

珍しい下がり本殿

 

  • 武蔵国(埼玉・東京) 大宮氷川神社・氷川女體神社・小野神社

〈氷川神社は1868年明治天皇が東京へ遷都した時、日本国鎮守として最初に参拝した神社。桓武天皇が平安京に遷都した時、初めに都の鎮守として、鴨社に参拝された故事に習ったもの〉

 

  • 知知夫(ちちぶ)国(埼玉) 秩父神社(68社に入っておらず、新一の宮とよばれる)
  • 上総国(千葉) 玉前(たまさき)神社
  • 安房国(千葉) 安房神社・洲崎(すのさき)神社

 

  • 相模国(神奈川) 寒川神社・鶴岡八幡宮

〈寒川神社……国府祭(こうのまい、或いは、こくふまい)。相模国には五の宮まであり、寒川神社と川和神社(二の宮)が、虎の毛皮を三回ずつ前に出して一の宮を競う神事で、1,000年以上続いている〉

 

  • 常陸国(茨木県) 鹿島神宮
  • 下総国(千葉県) 香取神宮

出雲の国譲り神話とかかわる「東国三社」とお船の神事

江戸時代に人気を集めたのが「東国三社巡り」でした。

三社とは、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、香取神宮(千葉県香取市)、息栖神社(茨城県神栖市)です。

鹿島神宮

香取神宮

息栖神社

常陸国一の宮「鹿島神宮」・・ご祭神:武甕槌(たけみかづち)大神

下総国一の宮「香取神宮」・・ご祭神:経津主(ふつぬし)大神

下総国「息栖(いきす)神社」・・ご祭神:久那戸(くなど)神、天鳥船命(あめのとりふねのみこと)

 

『延喜式』「神名帳」で「神宮」を名乗ることができたのは「伊勢神宮」「鹿島神宮」「香取神宮」の三社だけでした。

 

香取神宮には国宝の怪獣葡萄鏡(8世紀)がありとても丁寧に保存され美しいです。

神事ではお田植神事があり日本三大お田植神事(他はいざわの宮、住吉大社)に数えられます。

 

東国三社のご祭神は『古事記』『日本書紀』の「国譲り神話」と関わります。

大国主大神からの国譲りは、天鳥船命が先導し武甕槌大神と経津主大神が交渉に成功したのでした。

 

香取神宮と鹿島神宮では12年に1度の式年神幸祭があります。

香取を出発したお神輿(みこし)を乗せた御座船(ござせん)と、鹿島からの御座船が水上で出会います。

鹿島の船の先導船を息栖神社が勤めてきました。

 

かつての息栖神社

(復元 神栖市資料館)

古代の海岸線は、現在よりも内陸に入り込んでいました。

かつての神の池

(復元 神栖市資料館)

鹿島神宮・香取神宮は「香取(かとり)の海」の両岸に位置し、大和朝廷の東国開拓の拠点だったと考えられています。

鹿島神宮の宝物館には、国宝の日本最大の直刀が展示されていますが、これについては後ほどお伝えしますね。

「ご朱印」は神様仏様の分身のようなもの

ご朱印は、本来は参拝者が写経を寺社に納めた際にいただく「(拝受)印」でしたが、いつの頃から納経しなくても参拝の証(あかし)にいただけるようになりました。

いろいろな図柄の「ご朱印帳」があります。

全国一の宮専用御朱印帳もありますし、それぞれの神社に由緒を美しくデザインして描いたご朱印帳が用意されています。

 

神社のご朱印ばかりでなく、西国33か所霊場などでは専用の掛け軸があります。

東京メトロもご朱印集め&七福神めぐりのモデルプランも出しています。

 

ご朱印は「墨書」「押印」で成り立っています。

墨書は「参拝」「神社名」「参拝期日」が書かれ、押印は「神社名」「社務所名」「社紋」「神様の使いのマーク」などです。

 

「ご朱印をいただき集めるだけではなく、ご朱印の中味をよく見てください。それ以前のことですが、ご朱印をいただきに行くときは必ず参拝しましょう^^ご朱印をもらったら参拝しないで帰ってしまうこともあるようですので(汗)、必ず参拝しましょう!」

とは、えみ子先生の願いでした。

勉強会の質問タイムでは

講義の時間のラストの質疑応答の時間もまた、たとえ自分の質問でなくても、興味はつきません。

Q1「ご朱印帳は裏にご朱印をいただいてもいいのですか?シミが出そうですが……神社もお寺も同じご朱印帳でいいのでしょうか?」

A1「裏でもいいし、シミがあってもかまいませんが、あまりシミが酷い時はそのページを飛ばすか、紙でいただいて貼り付けるとか。」

 

Q2「西国巡りの白衣の背中に書くのもご朱印と同じですか?」

A2「ご朱印と同じですが、歩くと汗で滲むので・・・」

 

Q3「鹿島神宮の刀は石上神宮の刀と同じですか?」

A3「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は高倉下が神武天皇に献上し、窮地を救ったあと鹿島神宮には戻らなかったので、鹿島神宮では700年くらい前に三倍の大きさの代刀を作り宝物館に保存しています。国宝になっています。
石上神宮の剣は地面に埋めて保存されてきて、明治時代に掘り出され、写しとして作られた剣が北澤八幡神社に保存されています。ちょうど今渋谷の國學院大學博物館でその写しの剣が展示されています。興味のある人は見てくださいね^^」

 

さらに先月の市川先生の「藤原不比等」に関連して、藤原氏の守り神の春日大社が鹿島神宮から武甕槌大神を勧請したことについてのお話しもありました。

「藤原鎌足が武甕槌大神のご分霊を鹿の背に乗せて一年かけて奈良に行ったという伝承がありますが、東京都江東区や滋賀県草津に「鹿骨」というご分霊の辿った跡と考えられる地名があり、この伝承の真実味を感じさせます」

意外に知らない!?神社のこと

身近な関東の神社のお話しで、知っている神社もあるし、参拝したことのある神社であっても、意外に深く知らずに参拝していることに気づかされます。

そこで胸の中で、自分に関わった都道府県の「一の宮」をどのくらい覚えているか、数えてみても、けっこうあやふやです。

 

当然一の宮と思っていた神社が一の宮でなく、別に一の宮があり……(大汗)。

そもそも「一の宮」とか「二の宮」といういわゆるランクは何によって分けたのでしょうか?

 

そうしたことも歴史を知る手がかりとして気になってきます。

当初の平安時代のランク付けは変遷したものもありますが、1,000年以上も神事や信仰が継承するのはすごいことだと思います。

 

日本人の自然や先祖を尊ぶ心があってこそのものでしょう。

「一の宮」の独特な神事については、えみ子先生のご講義の真骨頂!ではないかと思えました^^

 

連綿と続く神道祭祀の長い歴史の奥深さを感じます。

……夫は数年間神栖市で仕事をしたことがあり、よく鹿島神宮に参拝しました。

ある時お客様を連れて行くと、「この神さまはどんな神様ですか?」と、突然聞かれて、つまってしまったそうです(大汗)

 

身近な神社にさりげなく参拝してきた中で、えみ子先生のお話しからよく知っていたつもりの神社に対して「未知との遭遇」!に似た新鮮な驚きがあったようです!

 

最近はご朱印ブームが続いていますが、いただいたご朱印を手に取り、一つの神社・寺院ごとの歴史に思いを馳せる楽しみも深くなりそうだと、話しています。

 

予定の時間になり、講義はお終りになり、場所を移してのお茶会になりました。皆の近況報告や意見交換ができ、この勉強会の第二の楽しみです~(^^♪

そしてえみ子先生に教えていただいた國學院大学に展示されている“布都御魂(ふつのみたま)”の写しの剣です。

これはスゴいことだ!と、鹿島神宮の宝物館で、何度か長~~い直刀を目にしていた夫は、さっそくに國學院へ足を運んだのでした!

“内ぞりなんだなぁ”と、石上神宮の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)の写しを見て感動したようです。

神社や旅、博物館、講演会などの貴重な情報もいただき、古代史熱がますます盛り上ります!

……

次回3月の古代史日和勉強会は、末永時和先生の「朝鮮半島の前方後円墳について」です。

前方後円墳は、倭国の埋葬スタイルとみられます。

 

神功皇后率いる倭国の半島への進出を示唆したものでしょうか?

その解釈については、はたまた諸説紛々!?しそうです。とにかくお話しを伺ってみましょう。

ご興味のある方はぜひ足を運んでください。お待ちしています。

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