こんにちは!yurinです。
令和元年10月の古代史日和は、古代史学者の安本美典先生による特別講演でした。
タイトルは、『日本書紀』神武天皇東征伝承6つの謎。
このブログでは第1の謎の暦についてお伝えしていきますね。
- 第1の謎:暦の逆転現象
- 第2の謎:古代の天皇お年(寿命・享年)はなぜ長いのか
- 第3の謎:神武天皇はなぜ西暦紀元前660年に即位したことに定められたのか
- 第4の謎:神武天皇は実在したのか
- 第5の謎:神武天皇は実在したとすればいつごろの人か
- 第6の謎:神武天皇はなぜ東征したのか
神武天皇の実在が疑われてしまう理由の大きなものとして、なんといっても『日本書紀』に記された年月日が信じられない、という「暦」の問題があります。
『日本書紀』で、神武天皇が即位されたのは、紀元前660年です(大汗)
最近は弥生時代がどんどん遡っていますが、全国的に見れば縄文時代から弥生時代の移行期です。
弥生農村風景
考古学が発達し、世界の国々の歴史も明らかになってくる中で、どう考えても日本の天皇がその時代に即位したとは考えられないですよね(真っ青)
神話の時代、たとえば神武天皇の5代前の天照大神の時代にも、水田農耕の記述があるので、やはり神武天皇の時代は、さらに水田農耕が進んだ弥生時代とみられます。
神武天皇の5代前の天照大神を確認!
特別講演資料より
『日本書紀』の年月日には誤りがあると考えるのが妥当です。
そこで安本先生は、『日本書紀』の「暦(こよみ)」にいて詳細に考察されます。
『日本書紀』の暦は、古代中国の唐(618~907年)の時代の暦と、それ以前の宋(420~479年)の時代の暦を参考にして制定されていました。
日本の古代の暦は太陰太陽暦で、月の満ち欠けをもとにして、太陽の運行も合わせて作られました。
445年、宋で元嘉暦(げんかれき)を使用されてから、665年に唐の儀鳳暦(ぎほうれき)(麟徳暦 りんとくれき)が制定されるのに合わせて、『日本書紀』でもそれに合わせて中国の暦を採用しています。
ところが『日本書紀』の445年以前の記述については、中国の後の時代の儀鳳暦を採用している、という矛盾が指摘できます。
すなわち『日本書紀』の445年以前の暦については、後代の暦を使用していることから、古い時代の日本には暦がなく、後代の干支を当てはめたとみられるのです。
安本先生は、『日本書紀』で神武天皇の実在と、暦の信頼性を分けて考え詳細に分析されておられます。
つづく