ミシャグジ神が降臨する神籬(ひもろぎ)

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こんにちは!yurinです。

バブル経済がはじけて、モノや科学は人を幸福にしない、という言葉もささやかれるほど、人々は懐疑的のようです。

一方で老若男女に神社のご朱印ブームも訪れています。

人々は何事にも揺るがない心のよりどころを求めて、古代と向き合う時代になったのでしょうか。

始源への回帰です。

 

ミシャグジ神は、建御名方(たけみなかた)の神が諏訪に入る以前に信仰されていた神さまとされます。

長野県方面では、建御名方命の父母、兄弟、妻、子の伝承、さらに建御名方命と戦ったモレヤ(洩矢)の神と、その子孫の神長官守矢氏の伝承が濃厚です。

関係する神社も数多くあるのです。

 

建御名方命の実在を認めないと、ここでもまた複雑な説明をしなくてはならなくなります(汗)

神話に史実の核があると認知され、建御名方命の実在性が高まると、そこからさらに黒が白にかわるように、がぜん高天の原の神々も現実味を帯びてきます^^

高皇産霊尊が天孫降臨を祈った神籬(ひもろぎ)

『日本書紀』神代で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨するさい、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は、次のようなはなむけのお言葉をおっしゃいます。

「吾は天津神籬(あまつひもろぎ)及び天津磐境(あまついわさか)を起し樹(た)てて、まさに吾孫(すめみま=皇孫)のために斎(いわ)い奉(まつ)らん」

(神々が降臨する神聖な神籬(ひもろぎ)や磐座(いわくら)を築いて、私自身が孫のニニギノミコトのために、心身を清めてお祈り申し上げましょう)

「神籬や磐座を築いて、心身を清める」。

 

古典を深く解釈しようとすると、仏教渡来以前の時代にさかのぼり、さらに水田農耕の弥生社会ではどうしても説明できないことが出てきて、縄文時代にさかのぼっていくのでした。

御頭御社宮司(おんとうみさぐじ)総社の神籬(ひもろぎ)

神籬(ひもろぎ)は、古代に神霊が宿ると考えられる山・森・老木などの周囲を、常緑樹を植えて巡らし、玉垣で囲んだ神域です。

後の時代には、家の庭や室内に、常緑の榊(さかき)などを立てて、神籬(ひもろぎ)とするようになりました。

 

『日本書紀』に「吾孫(すめみま=皇孫)」とあるのは、娘の万幡豊秋津媛命(よろずはたとよあきつひめのみこと)が、天照大神の御子の天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)に嫁いで、生まれた孫が、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)という血族関係からきています。

高皇産霊尊にとって、ニニギノミコトは外孫にあたります。

 

天皇家の方々は、天照大神の子孫として「天孫(あめみま、てんそん)」とも、あるいは高皇産霊尊の子孫として「皇孫(すめみま)」とも呼ばれます。

高皇産霊尊は、可愛い孫の前途の幸を願い、自ら神々に祈りを捧げました。

 

さらに『日本書紀』神代で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に供奉する神々に命じます。

「天児屋命(あまのこやねのみこと)・太玉命(ふとだまのみこと)は、天津神籬(あまつひもろぎ)を保ちて、葦原中国(あしはらのなかつくに)に降りて、また吾孫(すめみま)のために斎(いわ)い祭れ」

(「天児屋命・太玉命は、高天の原で神々をお祭りする神籬(ひもろぎ)を、葦原中国(本州)一帯にもたらして、皇孫のために祭事をとり行うように」)

高皇産霊尊は、天孫降臨した地でも、高天の原と同じように祭祀を執り行うようにと、中臣氏の先祖の天児屋命と、忌部氏の先祖の天太玉命に命じます。

どちらの氏族も大和朝廷の神道祭祀を連綿と司ってきた家柄でした。

 

古代において政治は祭祀と密接で、神籬(ひもろぎ)を築くことが大切であったことが伺われます。

 

諏訪の守矢資料官のある敷地には、古代の神籬(ひもろぎ)をうかがわせる神域があります。

守矢氏がお祭りする神籬(ひもろぎ)はクリ・カヤ・カジの木からなる祭壇です。

クリの木

カヤの木

カジの木

その神籬(ひもろぎ)の傍らの巨杉の下に、神長官家の養子になったという物部守屋の子、武麻呂の墓という古墳があったのでした!

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