こんにちは!yurinです。
8月15日。終戦記念日の今日は平和の願いを込めて……
1.ノアの方舟(はこぶね)の平和の象徴オリーブ
ギリシャから広く世界へ伝わったというオリーブは、平和の象徴のとされています。
旧約聖書の「ノアの方舟(はこぶね)」では、
神がお怒りになり、大洪水が引き起こされました。
神のご意志とともにあったノアは、大きな箱のような船を作り、
家族と、
洪水は、地上の生きとしいけるものすべてを滅ぼしましたが、
ノア一行が乗った方舟は、ようやくアララト山の頂上にたどりつくことができました。
ノアが陸地をさがすために遣わした鳩が、
ついにオリーブの枝をくわえて戻ってきた!ことから、
洪水が引いたことがわかったのです。
そして、ノアは方舟(はこぶね)を降り、祭壇を築いて神をお祭りします。
神はノアの祝福を受けてすべてをおゆるしになり、
このような大洪水を再び起こさないと約束し、
ノアと動物たちは、新たな世界を築き始めるのです……
アララト山(5137m)は、トルコの山とされますが、
その山の山頂だけがかろうじて残るような大洪水がようやく引いて、
一羽の鳩が運んだオリーブのひと枝……。
そのオリーブは、新たな平和な世界の象徴として、世界で知られています。
国際連合旗に用いられて、ギリシャやイスラエルでは国樹とされています。
日本には20 世紀のはじめに香川県の小豆島で栽培されたのにはじまり、
ヘルシーなオリーブ油の需要の高まりに加えて、
白みがかった細やかな葉が、太陽の光を浴びてキラキラ輝き、風にそよぐさまは、
なんとも心を外に向けて明るくしてくれます。
丈夫で害虫にも強く、小さい鉢植えでも見栄えがします。
我が家でもオリーブを眺めて、ギリシャの旅を思い出しています。
2.福岡県うきは市の景行天皇宮跡のオリーブ畑
日本で思いがけず、そのオリーブがゆれる美しい風景に、出会いました!
景行天皇にスポットをあてた河村先生のご教示により、
このような名跡へも足を運ぶことができたのです。
福岡県うきは市にある第12代景行天皇の行宮
(あんぐう=天皇が行幸したときに設けられた仮の宮)の跡でした。
景行天皇は、九州の西征におもむき、南九州を平定し、
熊本方面から福岡県八女市を経て、耳納(みのう)山地を越えて、
うきは市に入ったとされます。
『日本書紀』の景行天皇18年には、次のように記されています。
8月に的邑(いくは邑=うきは市付近)に到りて、進食(みおし)したまう。
この日に膳夫(かしわで=天皇の食膳に奉仕する人)ら、盞(うき=酒盃さかずき)を遺(わす)る。
ゆえに時の人、その盞(うき)を忘れ処(ところ)号(なづ)けて浮羽(うきは)という。
今、的(いくは)というは、訛り(よこなま)れるなり。
昔、筑紫の俗(くにひと)、盞(うき)を名づけて浮羽(うきは)といいしなり。
(8月、浮羽の村についてお食事を召し上がられた。
この日にお食事の係のものが、盞(うき)を忘れてしまったことから、その場所を「うき(を)わ(すれた)」といった。
今、生葉(いくは)というのは、なまったのである。
昔、筑紫の人は盞(うき)を名づけて浮羽(うきは)といっている。)
はるばるお越しになった景行天皇ご一行に、
なんとか美味しいお食事を調達してお出しするのが精一杯で、
お酒のさかずきのことまで頭が回らなかった、という民人のあわてぶりと、
おもてなしぶりが、浮かんできて微笑んでしまいます。
この景行天皇の浮羽の行宮(あんぐう)は、
福岡県うきは市吉井町若宮の若宮八幡宮が古くからの伝承地とされています。
若宮八幡宮
ここでも見事なご神木に圧倒されました。
うきは市は、筑後川が大分方面から筑紫平野に出る要衝で、
筑後川の南側にあるいにしえの筑後の国です。
背後の耳納(みのう)連山の西端が高良山です。