こんにちは!yurinです。
地方では旧暦のお盆です。あれっ?昨日まで神さまのお話しじゃなかったの!?
なんて、言われてしまうかしら(汗)。
神と言い 仏と言うも 世の中の 人の心の ほかのものかは
(源実朝『金塊和歌集』)
(神さまとも、仏さまともいいますが、それは現世の人々の心の外の、何か超越したところにあるのでしょうか。
いいえ、きっと、人々の心の中にあるものに違いないです)
何かしら日本人の宗教観がでていて、ほっと共感してしまいます。
というわけで、今日は家の近くで見つけた、蓮(はす)の花のお話しです。
お盆に咲く白い蓮(はす)の花
わたしは都市部の近郊に住んでいますので、
車で10分もいけば、農村風景が広がります。
車で20分ほどの手賀沼は、蓮の名所ですが、
一面に蓮の葉が生い茂り、むしろお花は少ないです。
昨年偶然に、水田の中の蓮(はす)の田に、
花が咲いているのを見つけました。
幼い頃は、千葉の海岸沿いには、蓮の田が広がっていましたし、
水田の一画に必ず見かけましたが、それもいつしかなくなり、
今は珍しい風景になっています。
蓮は清流より、濃い泥水の方がピンクの花を咲かせるとか。
時代劇で、蓮の田んぼに入って、花を切っているのを見かけたことがありますが、
あれはお盆に、ご先祖さまにお供えするためだったのでしょうか?
今年もお盆の時期が近づいて、蓮の花見に行ってきました。
雨上がりの水田の稲の緑がみずみずしく、ここでは白い花が主体の花で、
その光景がすがすがしく、心が洗われるようです。
ふと飛鳥の、まだ見たことのない蓮の花に思いを馳(は)せたのです。
氏族の興亡を見つめた剣池
『日本書紀』の第34代舒明天皇の6年7月に、
この月に、瑞(あや)しき蓮(はちす)、剣池(つるぎのいけ)に生(お)う。
一つの茎に二つの花あり。
(めでたい蓮が剣池に生えた。1本の茎に2つの花が咲いた)
とあります。
舒明天皇は、天智天皇の父で、斉明(皇極)天皇の夫君です。
7年の記事は少なく、彗星(ほうきぼし)が流れたこと、
そして百済の使者が朝貢にきたこと、そして蓮の花が咲いたことです。
さらに第37代皇極天皇の3年6月、
戊申(ぼしん)に、剣池の蓮(はちす)の中に、一つの茎に二つの萼(はなぶさ)あるものあり。
豊浦大臣(とゆらのおおおみ)みだりに推していわく、
『これ、蘇我臣(そがのおみ)が将来(ゆくすえ)の瑞(みず)なり。』といい、すなわち金(くがね)の墨を以(も)ちて書きて、
大法興寺の丈六(じょうろく)の仏に献(たてまつ)る。
(6日、剣池の蓮の中に、1本に2つのがくのある蓮があった。
蘇我入鹿の大臣(おおおみ)は都合よく推測して、
「これは蘇我臣(そがのおみ)の将来を示す瑞兆(ずいちょう)である」と言って、
金泥で蓮の花を描いて、大法興寺の仏に献上した。)
蓮の花は、仏教と結びついています。
1本で2つの花は珍しく、吉兆とされています。
……ですが、この1年後,中大兄皇子と藤原鎌足からなる、乙已(いっし)の変により、
蘇我入鹿は誅殺されて、蘇我本宗家は滅亡してしまいます。
蓮の花の瑞兆(ずいちょう)は、中大兄皇子、のちの第38代天智天皇にとってのものだったのです!
ここにでてくる剣池は、『古事記』『日本書紀』によれば、
第8代孝元天皇の「剣池島上陵(つるぎいけのしまのへのみささぎ)」が築かれた池です。
橿原市石川 剣池嶋上の第8代孝元天皇陵
橿原市石川町にあり、石川池ともよばれています。
4年後に葬り去られてしまう、蘇我倉山田石川麻呂も、この地名に因んでいます。
このブログでもお伝えしている通り大彦命をはじめ、
孝元天皇からは多くの氏族が輩出しました。
蘇我氏は、孝元天皇の子孫から別れた名族の意識をずっと持ち続けた氏族、とみられるのです。
多くの氏族の興亡を見続けたのが、飛鳥の剣池です。
お盆に咲いた蓮の花から、飛鳥の歴史に思いを馳せたひとときでした。