こんにちは、yurinです。
毎日、暑い日が続きますが、ときに涼しい風が吹く日はホッとしますね。
今日は安曇野の清流をご覧いただいて、
いにしえの神々に思いをはせていただければと思います。
新聞などで、首都圏の人々へのアンケートで、
あなたは老後どこに住みたいとおもいますか?
という質問をすると、便利な都会派と、のんびり田舎派に分かれますが、
そのほのぼの田舎派のベスト3に必ず入ってくるのが、「安曇野(あずみの)」です。
目次
1.万葉人も心ひかれる清流
槍で別れた 梓と高瀬 めぐり逢うのが 押野﨑
と、民謡の安曇節(あずみぶし)で歌われますが、
北アルプスの主峰槍ヶ岳・穂高岳から流れ出た梓川と高瀬川の合流点付近に、
たくさんの小川や湧き水がおりなす、清らかな光景が、なんとも美しいスポットです。
昔の日本はどこにもこのような透明な水があったのでしょうか。
夏でも冷たい湧き水の池で、
人里から離れすぎずに、民家が点在する、ほのぼのとした感じもいいですね。
自然と人が、ほどよいバランスで生活している様子で、なんとも懐かしい思いがします。
「水底に生ふる玉藻のうちなびき 心は寄りて恋ふるこのころ
(『万葉集』巻11 ―2482)
(清らかな水底に生えている、玉藻がなびくように、私の心はあなたになびいて、恋慕う日々なのです)
歌の中の「玉藻」というのは、万葉人の好んだ風物で、
「玉藻かる」という枕詞(まくらことば)もしばしばみられます。
玉のように美しい水草がゆらゆらゆれるのを、見通せるほどに透明な清流は、
残念ながら首都圏にいては、身近には見られない自然の状況です。
はるばる北アルプス山麓の安曇野や、上高地の梓川までくると、
そこで初めて万葉人が、始終眺めて心引かれた水草の美しさにふれることができます。
魂が浄化されるような、それでいて流れにうちなびく風情がはかなげで、
いつまでも見飽きない眺めなのです。
2.美しい安曇野の開拓者が安曇氏
このスポットの名称になっている「安曇野」の「あずみ」は、
この地を開拓統治した安曇氏という氏族の名称からきています。
その安曇氏がお祭りしているのが、長野県安曇野市の式内社「穂高神社」です。
式内社とは、平安時代の『延喜式(えんぎしき)』(927年)の
「神名帳(じんみょうちょう)」に記載されている、
当時の朝廷から官社として認識されていた、由緒ある神社です。
一般的に「式内社」と呼ばれ全国に2861社あり、
そこに3132柱の神々が記されています。
すでに日本全国に、平安時代にたくさんの神社があったことがわかりますし、
さらにこれ以外にも、知られている神社はたくさんあります。
まさしく古来、八百万(やおよろず)の神々がいらっしゃるのが、日本という国です。
3.北アルプスの主峰の穂高岳を祭る
畿内大和の三輪山は、山そのものがご神体として有名ですが、
安曇氏がお祭りするご神体もまた、北アルプスの主峰の穂高岳です。
安曇野市穂高の穂高神社は、その里宮(本宮)で、
安曇野を訪れて足を運ぶ参拝客が、後を絶ちません。
本殿の前で、多くの人々が、雄大な山塊を仰いでいます。
観光地として有名な松本市の上高地に奥宮があり、
奥穂高岳山頂に嶺宮(みねみや)があります。
奥穂高岳
まさに「日本アルプスの総鎮守」です。
この山々から流れ出す河川が、やがて犀(さい)川となり、
八ヶ岳や甲信地方の山々の水を集めた千曲川と、いわゆる川中島で合流して、
日本一の大河の信濃川となるのです。
穂高神社の御祭神は、安曇氏の始祖とされる穂高見命(ほだかみのみこと)です。
『古事記』で、
安曇の連(むらじ=氏の古い古称)は、
わたつみ(海神)の子の宇都志金拆命(うつしひかなさくのみこと)の子孫
とあることから、
ウツシヒカナサクノミコトの別名が、穂高見命(ほだかみのみこと)と言われています。
こちらの穂高岳の麓に移り住んでからの、お名前だったのでしょうか。
山をお祭りするのが、はるばる海を渡ってきた神さまなのです。
『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』(815年)という、
古代氏族の祖先神や出自を記した書物があります。
その中で、安曇氏は「地(国)つ神」とされることから、
古代日本を代表する海人族(あまぞく)とされます。
その本貫地は、福岡市東部の、古くは筑紫の国の糟屋郡安曇郷とされ、
福岡市志賀島の志賀海(しかうみ)神社をお祭りしています。
「しかのわたつみのかみのやしろ」「しかのあまのやしろ」とも言われてきました。
この地から得意の海上交通を生かして、全国に分散していったとされますが、
その時期については諸説あります。
信濃川の要衝地の川中島には、
安曇氏の一族とされる玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭る、
玉依姫命(たまよりひめみこと)神社がありますし、
安曇氏が海上交通ばかりでなく、河川の交通にもたけていたことが理解できます。
安曇氏は、日本列島の海岸や河川の通交を掌握し、
日本列島中央部の山河を開拓統治した、大氏族であったことが察せられるのです。
4.上高地の奥宮の明神池の静謐な自然とともに
安曇野の清流をあとにして、北アルプスの山の懐(ふところ)に入ると、
まさしく神々がすまう別天地が、神の河の内=上高地(かみこうち)です。
伊勢神宮の五十鈴川と同じように、上高地の梓川の清らかな流れは、
ストレートに心にしみいってきます。
上高地の梓川
ここでも梓川に注ぐ清らかな小川に玉藻がゆれるのを目にします。
雄大な穂高連峰を眼前に仰ぐのが、上高地の中心の河童橋です。
上高地河童橋から穂高岳
そこからさらに梓川を遡って1時間ほどのところ、
奥穂高岳の麓に明神池があり、そこが穂高神社の奥社の神域となっています。
明神池
この池で、10月に「お船祭り」という神事もおこなわれます。
穂高岳の水を伏流し湧き水となって、ひっそりと山影を映してたたずむ池。
私の心を内にむけて、静寂にしてくれるスポットです。
だれの心にもストレートに響いてくる、日本でも有数の美しい自然をお祭りしてきた安曇氏。
その氏族をめぐるさまざまな歴史が、古代史への夢想を楽しく深くしてくれます。