こんにちは!yurinです。
こちらのブログのつづきです。
大和入りに数々の試練があった神武天皇でしたが、高倉下(たかくらじ)の大きな働きのおかげで、橿原神宮で第1代の天皇として即位します。
神武天皇は感謝し、中臣種子(なかとみのたねこ)を鹿島神宮に遣わしたとされています。
神武天皇に仕える中臣種子(たねこ)
『日本書紀』には、南九州を出立した神武天皇が、北部九州の入り口となる「筑紫の莵狭(うさ、宇佐)」に到着すると、莵狭(うさ、大分県宇佐市)の国造(くにのみやつこ)の先祖の莵狭津彦(うさつひこ)・莵狭津媛(うさつひめ)が饗応して迎えてくれたことを記しています。
神武天皇は第一の関門の筑紫の国で受け入れられまず安心したと思いますし、その莵狭津彦(うさつひめ)を娶せるほどに信頼していたのが、近臣の天種子命(あめのたねこのみこと)です。
莵狭津彦(うさつひこ)は宇佐神宮にお祭りされています。
「天種子命(あめのたねこのみこと)は中臣氏の先祖」とあります。
その子孫が中臣鎌足(なかとみのかまたり)です。
中臣鎌足の出生地
その中臣鎌足を鹿島神宮にほど近い鎌足(かまたり)神社でお祭りしていたのは驚きでした!
鎌足の生誕地とされます。
境内には「大織冠(だいしょっかん)藤原公古宅址碑」が建っています。
鎌足が育った旧宅もあったようです。中臣鎌足の出生は、大和と鹿島の地の両方の説があるそうです。
中臣鎌足の先祖の天種子命(あめのたねこのみこと)の一族は、神武天皇の奉幣使として派遣され、そのままこの地にとどまって、鹿島神宮の祭祀に関わったでしょうか?
藤原氏は春日大社を氏神として天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売命(ひめのみこと)とともに武甕槌命(たけみかづちのみこと)をお祭りします。
春日大社
武甕槌神を祭る鹿島神宮の近くに藤原(中臣)鎌足の神社があっても不思議でないですが、まさか出生地とは!?
比売神(ひめのかみ)は、莵狭津媛(うさつひめ)なのでしょうか?
この中臣鎌足は、第38代天智天皇の片腕として、中大兄皇子の時代から傍で支えてきた人物でした。
その臨終に際して、天智天皇から「大織冠(だいしょっかん)」とともに「藤原」の姓を賜ったとされます。
そして鎌足の子が藤原不比等(ふじわらのふひと)です。
藤原不比等の子には、武麻呂(むちまろ)・房前(ふささき)・宇合(うまかい)・麻呂(まろ)と4兄弟が有名です。
このうち宇合(うまかい)は、常陸国守となり『常陸国風土記』の編纂に係わったとされます。
日本の上代古典の最高峰といえるほどの流れるように美しい文を綴っています。
私の出身地千葉県からは、はるか遠い都で権勢を極めた藤原氏ですが、これほどの東国の守護神の鹿島神宮とのゆかりを知ると、とても身近に感じられてきます。
その後世までの藤原氏の権勢の始まりを築いた藤原鎌足の子の不比等(ふひと)。
その子の宇合(うまかい)まで身近になってきて、探求心がそそられます^^
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2020年12月の古代史日和勉強会では、市川先生がその藤原不比等についてを語ってくださいます。
オンライン開催です。