越の国の旅【5】建御名方命の家族が祭られる斐太神社と縄文遺跡の神社

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越の国の旅 アマノウズメがたすきにかけた植物のつづきです。

お諏訪さま家族を祭る斐太神社を参拝

古墳と遺跡の楽しい時間の後に、斐太遺跡に隣接する式内社斐太神社を参拝しました。

大国主命・事代主命(ことしろぬしのみこと)・建御名方命(たけみなかたのみこと)を祭るとともに、たくさんの玉を所蔵していたことで名高い神社です。

残念ながら度重なる火災によって、玉は消失してしまったそうですが、貴重な伝承を伝えています。

抑(そもそ)も此(こ)の大神の御鎮座せる、其源(そのみなもと)は、遠き神代にして大国主命、我が越の国に行幸座(みゆきまし)て、此の辺(あたり)を『国中の日高見(ひだかみ)なり』と、詔給(おおせたま)ひて、御滞留座まして、
 
沼河姫命(ぬなかわひめのみこと)を娶りまして、名方命(なかたのみこと)を、居多(けた)の浜の西なる躬輪(みわ)山〔今は岩戸山といふ〕に産めり。・・・

この場所も「日高見国(ひだかみのくに)」と言われていたとは!深い示唆と思索をもたらす掲示です。

 

事代主命ゆかりの矢代川は、斐太遺跡から関川に合流します。

長野県の諏訪大社は、建御名方神(たけみなかたのかみ)は、の八坂刀売神(やさかとめのかみ)とご一緒に祭られています。

・・・ところが新潟県に来てみると、建御名方神は、居多(コタ)神社ではの大国主命、の奴奈川姫(ぬなかわひめ)と祭られていました。

さらにこの斐太神社では兄弟の事代主命(ことしろぬしのみこと)と祭られているのです。

家族に大切に育てられた建御名方命が偲ばれて、なんともほのぼの~♪

 

この日は午後から「雨」の予想でしたので、お昼を延ばして、一気にここまで巡りました。

無事に参拝を終えると、うっそうとそそり立つ杉木立の間から、予想外の午後の陽ざしがこぼれます。

一同で参拝し、神さまに祝福されているような暖かな気持ちで満たされます。

斐太遺跡の丘陵の森を見渡せる、レストランのハンバーグランチが、格別に美味しかったです。

奴奈川彦・奴奈川姫を祭る縄文遺跡の神社

ランチの後、上越平野を貫流する関川をはさんで、斐太神社遺跡と対岸にある神社や古墳を巡りました。

こちら側にも国の指定史跡の宮口古墳群があります。

山麓の古墳の見学は帰路にして、古墳のある山裾を抜けて、山道を登って行きます。

和服姿で自然な雰囲気でハンドルを操作する、日香浬先生の運転スキルに感服!

日香浬先生は、絵画を描き始めたころ、古民家を訪ねてこうした山合いの集落を訪れたとか。

水口古墳群

 

旧牧村には越後と信州を結ぶ「ひるこ道」と呼ばれる古道があって、東頸城(くびき)の旧奴奈川(ぬなかわ)村へ抜けるそうです。

なんと4年前まで存在した奴奈川(ぬなかわ)小学校は、閉校したそうです(大泣)

女神さま、天皇そして将軍のお名前になる「ぬなかわ小学校」でした。

……ですが、日本の古典の『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』『風土記』『万葉集』とともに、「ぬなかわ」は、子々孫々、永久に語り伝えられるでしょう(涙)

 

いつしか相当な山道に入っています。

棚田をぬけて、うっそうとした木々の生い茂る森の中に、ポッカリ現れる集落が今清水です。

今清水からの眺め

その名のとおり周囲のあちこちで、清水や池を、目にします。

渟名川(ぬなかわ)神社は、山の中の峠のようなところにありました。

「ここは信州の縄文的なところだな」との土田先生のお言葉に、全く同感でした。

古代の尾根添いの道が交錯する要衝地です。

このまま山道を進むと、信濃川流域の信州の飯山方面へも、十日町方面へも出るそうです。

 

渟名川(ぬなかわ)神社は、奴奈川(ぬなかわ)姫と姫の父の奴奈川彦(ぬなかわひこ)をお祭りします。

「ヌナカワヒコ」もいたのですね!

社殿はなく、方形の石の祭壇と、杉の巨木の神籬(ひもろぎ)が、神々をお祭りする場となっていました。

とてつもない時代に遡るような神社の雰囲気です。

 

神社のすぐ近くの縄文遺跡から、ヒスイの大珠(たいしゅ)が出土したそうです。

昭和の初期に、地表にあった石斧や玉類が確認されました。

 

「久比岐(くびき=頸城)の縄文遺跡研究の本格的な礎(いしずえ)になった遺跡」と掲示板にあります。

ヒスイや奴奈川姫を手がかりに、遺跡や神社を巡っていると、縄文~弥生~古墳時代と途切れることなく、錯そうするのがこの地域の特色です。

戦国時代も江戸時代も……数千年の日本の歴史も短く感じてしまうほどです。

人気のある民家と廃屋が混在して、畑もあります。

日香浬先生のご教示で、衣服の麻の繊維となる「青苧(あおそ)」も、あちこちに自生しています。

自生する青苧(あおそ)

シソのような葉っぱで、茎の赤い「赤苧(あかそ)」もありました。

土田先生は「こういうところに石みたいに土器の破片が落ちているんだよな」と、畑のあぜ道に入り込んで、土に見入って目を輝かせています。

 

木々の合間から、眼下に棚田のある山並みを遠望する絶好のポジションに、祖霊をお祭りしています。

人の背の高さの倍もある、稲をかけるハゼの高さに驚きます。

山の集落では、こんな高い棚を作って稲を干すとのこと。

 

色とりどりの晩秋の里山の風景に見入ってしまいました。

3人ともこういう場所を限りなく愛する共感者です。

ここまで連れて来て下さった日香浬先生にひたすら感謝しました(拝)

 

何メートルも雪が積もる山の中の集落。

ここでヒスイの大珠を持った人々は、奴奈川の長者の一人だったのでしょうか。

「俺だったら、こいつこそは!と心から見込んだ人物にしか、絶対にヒスイは渡さないね」と、土田先生は力説されました。

まるでヌナカワヒコになったかのようです(笑)

「本当にそう思います。それほどの大切な希少な神宝だったと思います!」土田先生のお言葉のひとことが大切で、心に刻んで置かなくてはと思うのです。

つづく

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