瓊瓊杵尊~神武天皇まで一族がお祭りされる霧島神宮

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こんにちは!yurinです。

霧島山頂の霧島東神社に参拝した話のつづきです。

その後、山を下って鹿児島県に入り、有名な霧島神宮(霧島市)を参拝しました。

訪れたのは11月ですが、見事な紅葉の最盛期の休日とあって、大きな駐車場も満杯状況です!

霧島神宮境内の紅葉

観光バスが何台も停まっています。

神宮の休憩所に置かれたお土産品は、大河ドラマ「西郷どん」の関連商品が目立ち、あまり瓊瓊杵尊や天孫降臨の用語がみられなかったです。

 

驚くほどたくさんの外国人観光客で賑わっていました。

霧島神宮には天孫の一族

霧島神宮は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開姫命(このはなさくやひめのみこと)を始め、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫尊、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、玉依姫尊、神武天皇までの一族をお祭りする神社です。

初詣のように本殿の前に長い列ができていました。

長い列なので、朱塗りの社殿に施された華麗な彫刻、本殿を囲んでそそり立つ巨杉をゆっくり鑑賞できます。

どのような思いにせよ、南九州の神社にこれほどたくさんの参拝客が足を運んでくれるのはとてもうれしい思いです^^

 

日本で初めて!新婚旅行に訪れたといわれる坂本龍馬とおりょうの記念撮影スポットの奥に展望台がありました。

石碑の掲示板になんと!「神代三陵」が掲示されていて感激しました(大拍手)

「これ、すご~い!“えのやまのみささぎ”まで書いてある!」

と、思わず叫ぶと、

「え、何!なんて書いてあるの?私、読めないけど……!?」

同じく石碑を見つめていた人が言っています。

……ちょっと、得意な気持ちでした^^

神代三陵とは

霧島神宮を中心にして、西方の可愛山陵(えのやまのみささぎ)、中央の高屋山上陵(たかややまのうえのみささぎ)、東方の吾平山陵(あいらやまのみささぎ)が神代三陵です。

可愛山陵 川内(せんだい)市 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
高屋山上陵 溝辺(みぞべ)町 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
吾平山陵 姶良(あいら)町 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

 

神代三陵の候補地はそれぞれ何か所か知られて確定は困難なところがあるようですが、『古事記』『日本書紀』に記述があり、『延喜式』「諸陵式」にも記載があります。

『古事記』
日子穂穂出見命(彦火火出見尊)「高千穂山の西」

『日本書紀』
天津彦彦火瓊瓊杵尊「筑紫の日向の可愛山陵」
彦火火見尊「日向の高屋山上陵」
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊「日向の吾平山上陵」

一般的に「神代三陵」といわれる、南九州の神武天皇の先祖の御陵です。

古典にはすべて「日向国」にあると書かれています。

後世の日向国は宮崎県ですが、古代は鹿児島県地方もふくめて「日向国」と見なされていたようです。

 

また「筑紫の日向」とあるのは、『古事記』で九州全体を「筑紫島」と読んでいる通りです。

神武天皇が実在するしないどころか、南九州には、古典に記される神武天皇の先祖のお墓まで伝えられているのです。

霧島神宮から神代三陵を遠望する

霧島神宮の展望台から、その神代三代の御陵の山をおよそ確認できたのは大感激でした!

南九州の要衝地に、神武天皇のご先祖をお祭りしている状況が確認できたのです。

これからの旅の期待がふくらみました。

 

同じ日に「霧島」のつく神社を2社参拝したわけです。

朱色の華やかさが印象的な社殿と境内いっぱいの参拝客で賑わう霧島神宮。

 

一方で森閑とした神域の境内から神秘的な御池を臨む東霧島神宮。

ここまで足を運ぶ人々の思いは深そうです。

 

どちらの霧島神宮の展望台「見晴らし台」からの眺めは、まさしく筑紫の島の南を治める王者の眺めでした\(^o^)/

神武天皇は筑紫の島の南をしっかり掌握して、いよいよ筑紫の島の北部、先祖の本拠地を目指したようです。

 

あづま路の果てからはるばる訪れた私には、2社とも深く心に刻まれています。

神武天皇ふるさとの神々のすまう地として……

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