川柳将軍塚古墳は四道将軍大彦命の墓【4】

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川柳将軍塚古墳は四道将軍大彦命の墓【3】のつづきです。

大彦命の一族を祭る「さらしなの里」の式内社布制神社

久しぶりに大彦命をお祭りする布制神社を、夫と二人で参拝しました。

青空は高く、木々の彩りが晩秋の最後の輝きを放っています。

信濃のさらしなの里は、小春日和でした。

布制神社の前には条里制遺構(古代に行われた土地区画制度)の案内板が立っています。

広々とした田畑の地が広がっていて、のどかな大和の風景に似ています。

手前の低い山波の向こうに、白い雪を抱いた菅平や志賀高原の高い山々が、信濃の国を感じさせます。

 

民家や田畑をぬけて、参道を登っていくと、見晴らしはいっそう開かれます。

桐の花が枯れ枝に残っていて、藤色の桐の花の咲く新緑の季節に来てみたいと思いました。

社前の前を古道が左右に通って「東山道の支道」の表札があります。

まるで大和の山の辺の道の風情です。

大和の大神(おおみわ)神社や狭井神社とちがうのは、いっそう標高の高いところに社殿があることです。

 

古い神社や古墳ほど、標高の高いところにあるようです。

山頂に本来の社があって、後に山麓に社が築かれて、山上が奥宮となっているのもしばしば目にします。

拝殿からの見晴らしは、千曲川隔てて対岸の、森将軍塚古墳を見渡せます。

布施氏は、阿倍氏・高橋氏と同じく、大彦命の子孫の一族です。

 

布制神社の本殿には、皇室ゆかりの菊の御門がかかげられています。

天皇家の皇子として、この地に遠征した大彦命。

はるばる大和から、北陸へ遠征してこの地へやって来て生涯を終え、どのような心境であったのでしょうか。

茶臼山の先端部の川柳将軍塚古墳に

布制神社のある布施山は円錐形の山ですが、その山上に川柳将軍塚古墳があります。

この季節になるとそこだけ常緑樹の赤松に覆われているので、よくわかります。

ですが、地元に生まれた夫と何度行っても、神社からそのまま上って、直接に古墳へは入れませんでした(大汗)

 

車で、いったん布制神社のある山を下り、山の反対側からの集落を抜ける細い道の方をぬけて、古墳を目指します。

30年前のままの案内板があり、その場所が駐車場になっているので車を停めました。

歩いて登ります。

実はあまり人が訪れない神社や古墳めぐりは、秋から春の季節がいいのではないかと思います。

森将軍塚古墳のように県立博物館が建ち、歴史公園になっているとか、あるいは風土記の丘の名称で整備されているような古墳めぐりは楽なのですが……

木々が鬱蒼として、雑草が生い茂る季節に行くと、何かと物騒です。

別の神社ですが、民家に近いにもかかわらず、熊鈴!をつけた方に出会ったこともありました(汗)

 

「川柳将軍塚古墳は大彦命の墓なのに、放っておかれて、実に残念」と嘆いていらっしゃる、長野市ご出身の古墳ゆかりのお方にご教示いただいたこともあります。

このお方のおかげで、この古墳の被葬者について確信が持てました(拝)

 

とにもかくにも前期古墳、古い神社は山道になることが多いです。

古墳も大変な場所に築いたもの、と当時の方々の労力に頭が下がる思いがするばかりです。

やはり夫がいてくれて安心でした。

夫は、もともとは古墳も神社巡りもそれほど興味はないようでしたが、郷土のこと、日本の古代のことをもっと知りたい、という気持ちはもってくれているようです。

諏訪大社の建御名方神(たけみなかたのかみ)も、四道将軍の大彦命も教えてもらう機会はなく、大彦命はまったく知らなかったようです(微笑)

 

培塚の古墳を越えて、ようやく広々とした川柳将軍塚古墳の後円部の山上に立ちます。

後円部から前方部をみる

よくぞこのような山上の古墳を掃き清めて、言い伝えてきたものと感動すらおぼえました(大拍手)

大彦命のお墓の周辺は、新たな案内板もたって、余分な木々は伐採されて、かなり整備されています。

川柳将軍塚古墳からの眺め

戦国時代の川中島の戦いで、武田信玄は「茶臼山」に本陣をおきましたが、この場所はその茶臼山山塊の南の外れにあたる支脈の先端部分です。

まさにこの川柳将軍塚古墳の地に本陣をおいたという説もあるのです。

それほど川中島を見渡す要衝地。

この地域には、川柳や森という古墳だけでなく、倉科将軍塚、越村将軍塚、土口将軍塚……など次々に古墳が築かれました。

 

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