『日本書紀』から読み解く【3】蘇我馬子・推古天皇・聖徳太子の実像

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こんにちは!yurinです。

古代史日和の勉強会のブログのつづきです。今回で完結です。

広く知られることになった蘇我馬子の業績

蘇我馬子の業績をまとめると、仏教寺院では蘇我氏の氏寺として596年に完成された日本最古の寺院、飛鳥寺(法興寺)がありました。

平城京遷都とともに現奈良市に移設され、元興寺として残っています。

 

中心の塔の周りに3つの金堂を持つ一塔三金銅式の伽藍です。日本初の瓦葺きでした!

本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来像で、鞍作鳥(くらつくりのとり)が造ったとされ、国重要文化財になっています。

乙巳の変で蘇我本宗毛家が滅んだ後も尊崇され、官寺相当の朝廷の保護を受けました。

 

馬子による仏教導入の象徴的寺院です。

馬子が開いた仏教の時代は、古代国家の「文明開化」の時代といえそうです。

明治の文明開化とよく似ているところがいくつも指摘できます。

 

神道崇拝の物部氏から崇仏の蘇我氏へ政治の主導権が移ったのは、幕末明治維新の時、徳川幕府から明治新政府に移ったほどの変化といえるでしょう。

かたや崇仏戦争、かたや戊辰戦争という武力衝突という痛みを乗り越えた改革でした。

対外的にも倭の五王の時代から100年ぶりに大陸と接触、統一国家「随」の脅威に対するのは、鎖国を解消し250年ぶりに欧米と接触し、欧米列強の脅威に対するのと似ています。

 

聖徳太子の憲法十七条は、明治政府の発布した五か条の御誓文に影響しています。冠位十二階は、大日本帝国憲法に。

仏教の流入が建築・教育に影響し、明治の文明開化では鉄道・建築・電信などの進歩がありました。

服装が古代風から大陸風に変化したのも、明治に和装から洋装になったのに似ています。

 

以上のことから馬子の時代をまとめると、大国・隋の影響を受け、「蘇我の3人」が「開国」をして「文明開化」を推進。

さらに仏教導入により、権力者の象徴は「前方後円墳」から「寺院」になったのです。

まさしく馬子の時代は古代国家の基盤作りの時代といえるでしょう。

この先藤原不比等・持統天皇・元明天皇の時代、隋から唐へ移り、大宝律令・養老律令を整備、一代限りの遷都の時代に終焉を迎えて、藤原京・平城京という恒久的な都の時代です。

平城京朱雀門

過去を見つめて『日本書紀』『古事記』という史書も編纂されました。今なお興隆をきわめる興福寺なような大寺院が建立される時代へ向かいます。

総合的に考えると、馬子の時代は古代国家基盤作りの始まりで、不比等の時代が「律令国家」の総仕上げの時代といえるでしょう。

平城京のあった奈良市街(若草山から)

先進国家の礎を築き女系で蘇我氏の血を天皇家に伝える

もし蘇我馬子がいなかったら日本に仏教が広まらなかった可能性すらあるのです。

国際的な先進国家の仲間入りはできなかったかもしれません。

馬子は550年~626年の生存とされ、当時としては大変な長生きでした。奈良県明日香村の石舞台古墳の被葬者として有力視されています。国内最大級の横穴式石室の古墳です。

天皇を弑逆(しぎゃく)した大罪にもかかわらず、薨伝(こうでん、亡くなった後の伝え)ではその力量を褒めたたえています。

馬子の死後の蘇我氏は、有名な乙巳の変で蝦夷・入鹿の親子が討伐され、蘇我本宗家は滅亡しました。

 

ところがここが日本史の絶妙なところなのですが、古代の天皇家と氏族の婚姻関係は実に複雑です。

一族も一致団結して行動するわけでなく、蘇我馬子の子孫が討伐されたといえ、傍流の蘇我家は残りました。

それも古代最大の内乱、壬申の乱で大友皇子側についた蘇我赤兄で、ついに命脈を断たれてしまうのですが、蘇我の女系はしっかり残っていきます。

 

第38代天智天皇と、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだいしかわまろ)の娘から生まれた持統天皇の系譜は、いっそうの古代国家構築を推進します。

そして長い目で見ると、馬子の娘の堅塩媛の女系は、現在の天皇家まで続いているのです。

トータルに考えれば、まさしく「古代最強の豪族~蘇我馬子~」といえるのではないでしょうか。

歴史の面白さはやはり人物!

勉強会の2時間という限られた時間内に、これほど濃密な古代史が勉強できる機会は、そう恵まれるものではないでしょう(大拍手)

「蘇我馬子」の事績をたどるほど、『日本書紀』に書かれていたかしら?などの思いは、全くの誤解、勉強不足でした(大汗)

誠実に丹念に『日本書紀』を順序だて、整理して読み進むと、これほどの歴史を知ることができる!と感動しました\(^0^)/

 

『日本書紀』が語る一字一句が愛しく大切に思われてきます。記される一人一人の人物像が鮮明になってきます。

歴史の面白さはやはり人物!

 

それにしても古代の天皇家や氏族の婚姻関係は実に複雑で、目まいがしそうです(大汗)

さらに日頃は神社好きの私なので、蘇我VS物部の武力衝突でも物部守屋を応援します。

 

ですが「もし仏教が日本に入らなかったら?」と問われると、確かに無限の闇の中を手さぐりするような不安な気持ちさえ襲ってきます。

お葬式やお彼岸、お盆もない……?

そうした中で、確かに蘇我馬子の実力のきらめきがひしひしと伝わってくるのでした。

 

質問コーナーではなんといっても

「東アジア初の女帝、推古天皇が即位するのは、相当な抵抗があったのでないでしょうか?それを越えて即位できた理由をもう少し深く知りたいです」

というテーマが大きなものでした。

「そこは史上初といっても、やはり倭国の動乱の後に即位した邪馬台国の女王卑弥呼。そして伝説の神功皇后は、夫の天皇を亡くしているにもかかわらず、日本軍を率いていましたし。また第17代履中天皇の皇女、あるいは孫とされる飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)も即位していたとみられます。

雄略天皇に追われて兄弟が畿内の外へ逃げているうちに、皇位継承者がいなくなり、即位していたともいわれます。やはり倭国は、推古天皇以前に前例はあったのではないですか?」

蘇我馬子という天皇でもない一人の人物から、実にさまざま古代のテーマが広がりました。

 

それは古代だけでなく近現代にまでつながってくる大テーマばかりです。

古代史の面白さ、歴史の面白さ、『日本書紀』の面白さを堪能させていただける時間に感謝申し上げます。

おりしも来年は『日本書紀』編纂1300年の年にあたります。

 

まもなく施行される大嘗祭をひかえて、勉強の秋は食欲の秋でもあります。

心の食欲を満たすためにも、次の楽しみのお茶会に流れて、メンバーでの歴史トークは尽きませんでした^^

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