こんにちは!yurinです。
前回、前々回とわたつみ(海神)の安曇族がお祭りする志賀島(しかのしま)について書きました。
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博多から志賀島へ渡る海上からの、筑紫の国の山々の眺めは絶景でした!
博多湾からの筑紫の山々
目次
1.志賀島へ渡るフェリーから眺めた筑紫の山々
福岡へお住まいの方々には見慣れた、風景なのかもしれませんが、東路(あづまぢ)の果てからはるばるやってきた私は、日本神話と『魏志倭人伝』の世界が錯綜(さくそう)しておりなす光景に思わず「わあ~!」という感嘆の声をあげました!
博多港から離れるほどに、東から西までの筑紫の山々の大パノラマが開かれます。
ようやく覚えた筑紫を代表する山々の特徴的な山容が、少しずつ認識できました。
山々を崇拝してお祭りする神社はたくさんありますが、その山へ近づき過ぎたり、山中へ入ってしまうと、その山の良さがわからなくなってしまうこともよくあるのです。
「遥拝(遠くから拝むこと)」という言葉があるように、むしろその山を拝むのにふさわしいポジションが、山々から少し離れたところにあるようです。
古代の人々が、海や山に密接な日常生活を送る中で、その場所から見える秀麗な山々を拝むことが始まりだったとみられるのです。
おそらくは博多湾で狩猟採集を行う人々にとって、大切な山々であったのでしょう。
博多湾の海上から眺めることで、古代の人たちが、なぜその山を祭ったのかわかる気持ちがしてきたのです。
2.二上山(ふたがみやま)の立花山と秀麗な若杉山
博多湾の東端には、灯台守(とうだいもり)のように立つ立花(たちばな)山があります。
立花山(大和の二上山に似ています)
大和の二上山、あづまの国を代表する筑波山のように「二つの神の峰がある山=二神山(ふたがみやま)」です。
筑波山
立花山は、伊奘諾尊(いざなきのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)を祭っています。
福岡市東区、糟屋郡久山町・新宮町にまたがり、標高は361.7m。
クスノキ群が数千本以上もあり、原生林となっているのはきわめて珍しく、ほかにもタブノキ・カゴノキなど、日本神話ゆかりの神社で、お目にかかる樹木群から構成されています。
国の天然記念物に指定されています。
まさに日本の神体山の原型のような山です。
博多の市内からですと、3つくらいの峰にわかれているようにも見えるのですが、博多湾の海上にでると、はっきり雄岳と雌岳の二つの峰が認識できました。
子孫繁栄を願ういにしえの人々にとって、男女が対になるのを思わせる山容に親しみがわいたのでしょうね(拍手)
本州方面からも、大陸方面からも入ってくるのに、目印になります。
戦国時代には、立花山の帰属をめぐって、毛利氏と大友氏が争ったといいますから、古代からの要衝地であったとみられます。
まずここを制すると、古代九州の筑紫の国の掌握の第一歩になるような要地です。
伊奘諾尊(いざなきのみこと)の「筑紫の日向(ひむか)の立花(たちばな)の小門(おど)の禊(はらいみそぎはら)い」は、伊奘諾尊が率いる邪馬台国の、勝利宣言の記憶でしょうか?
立花山に東には、標高がぐっと上がる秀麗な若杉山(681m)が眺望されました。
大和の三輪山のような秀麗な山容タイプの甘南備山(かんなびやま)です。
糟屋郡篠栗(ささぐり)町と須恵(すえ)町の境界で、山頂に太祖宮の上宮があります。
伊奘諾尊を中心に、左に天照大神、志賀大神、住吉大神、右に八幡大神、聖母大神(神功皇后)、宝満大神(玉依姫)を祭ります。
なんと!伊奘冉尊(いざなみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)がいらっしゃらない、というところに、出雲系の神々を入れない、という筑紫の人々の古い信仰心を感じました。
篠栗町付近からも、大和の山の辺の道からの三輪山のようなたおやかな三角形の山容が印象的な山でしたが、博多湾にでてみると、いっそうにその秀麗な山容が目立ちます。
筑紫の国の入り口を鎮護する神のような山に見えます。
3.筑紫の守護神の宝満山と、背振山系の雷山
神武天皇の母の玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭るのは、宝満山です。
宝満宮竈神社と宝満山(太宰府市)
昔の筑前国御笠(みかさ)郡にあり、御笠山(みかさやま)とも呼ばれます。
正真正銘の筑紫の守護神の山です。
宝満宮竈(かまど)神社があります。
宝満宮竈神社本殿
山麓には、後の時代に太宰府に流された、菅原道真で有名な太宰府天満宮があってそちらが有名ですが。古代から神武天皇の母の玉依姫命を祭ってきました。
奈良市の三笠山(みかさやま、342m)にあたる山のようです。若草山で知られますね。
宝満山は、筑紫平野や玄界灘を見渡す眺望がたいへんに素晴らしく、市民に親しまれてよく登られているところも、奈良の若草山とよく似ていると思いました。
博多湾から見渡すと、その宝満山は、筑紫の山波の中央にどっしりと鎮座していました。
それらの筑紫山地から流れる御笠(みかさ)川、多々良(たたら)川によって形成される博多平野ですが、もう一方の山塊の背振山系の山々からも川が流れてきます。
博多平野を貫流する那珂川、その流域に『魏志倭人伝』の奴国の中心があったとされます。
背振山系の中心の山は、伊都国の聖地とみられえる雷山(らいさん、954.5m)です。
宇美八幡宮から見える雷山(糸島市長野)
神功皇后が応神天皇を出産されたという宇美八幡宮は、宝満山から流れる宇美川の流域にありますが、もう一つ、いにしえの伊都国の糸島市長野にも宇美八幡宮として伝えられます。
宇美八幡宮は、長野川のほとりのどかな田園風景の中にあって、川の流れてくるその奥に仰ぐ雷山の風景は忘れ難い山容でした。
雷山神社は、火雷神(ほのいかづちのかみ)をお祭りしていますが、その名称と背振山系を代表する雄姿から、日本神話で武勇第一の神、武御雷神(たけみかづちのかみ)の姿が偲ばれてくる山です。
…………
このように日本神話の「筑紫の国」と『魏志倭人伝』の国々ゆかりの山々が、一挙に見渡せたのですから、もうこれ以上の感動はないほどです!
地元の方々であれば、もっと日常の風景で、さらに細部の山々が認識できるのでしょうが、あづまの国生まれの私には、有難くまたとない光景で、しばし時間をとどめたい、そういう思いが募る至福の時間でした(拍手)………
………
日本神話と邪馬台国、安曇氏と宗像氏、神武天皇と饒速日命………
やはり地元の九州福岡の先生ならではの、情報と見解をぜひお伺いしたいところです。
これらの古代史の核心を、河村先生に、ぜひともスッキリさせてもらいましょう!
10月21日(土)古代史日和「古代の海人族~安曇と宗像~」
10月22日(日)邪馬台国の会「北部九州の神武天皇伝承」
※講演会は終了いたしました