ヒスイを運ぶ縄文の海の民 安曇氏【1】のつづきです。
4.海と山の縄文狩猟採集社会の残像
志賀島へ上陸すると、千葉で目にするのと同じ漁港の風景であっても、気持ちが全く違いました。
私には神話の神々が息づく島なのです。
「志賀宮」の鳥居をくぐって町中へ。
食堂のショーウィンドウに飾られた見事な貝から「わたつみの宮」を想起します。
このような大きな貝をみたのは初めて!
志賀海神社は、海の中にあって山を感じさせるお社でした。
海の神さまを祭る社(やしろ)であると同時に、「山の神」を祭っています。
そして驚いたのが「鹿の角の倉庫」です(汗)!
風遠しのよい格子の倉庫の中には、なんと1万本の鹿の角が納められているとか(大汗)!
「志賀(しか)」は、もともと「鹿」なのかしら?
諏訪大社の守矢資料館で、御頭祭(おんとうさい)に捧げられる鹿を思い出しました!
諏訪大社の祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と、妃の八坂刀売神(やさかとめのかみ)ですが、八坂刀売は、海神(わたつみ)の安曇族の女性とされているのです!
信濃という山国にある諏訪大社と、博多湾の海に囲まれた志賀海神社が、とても近いものに感じられて、神話の海幸彦、山幸彦の話しも浮かびました。
それぞれ海と山とで別れて、魚と獣を取っていたのですが、ある時、山の猟の道具と、海の漁の道具を交換して、狩猟と漁労を行う話しがあります。
また『常陸国風土記』でも、倭建天皇(やまとたけるのすめらみこと)が巡行して、天皇と皇后がそれぞれ野と海に分かれて、山の幸と海の幸の多少を競った話しがあります。
どちらの場合も、一方は成果が上がらないのですが、こうした逸話からも、海と山の狩猟採集は、離れた暮らしの人々がするのでなく、きわめて密接なものであったことがわかります。
山と海の狩猟採集生活の残像が、由緒の古さをかんじさせる神社でした。
拝殿
遥拝所
磐座
お昼の、具だくさん海鮮の卵とじ、大満足。
志賀島の金印のお菓子のお土産は、古代史カフェ会のメンバーから歓声があがりました!
お手軽に金印を味わえます(拍手)
5.神武天皇とゆかりの安曇氏と、宗像氏の関係は?
『古事記』『日本書紀』によれば、神武天皇の母と祖母は、「海神(わたつみ)」の娘の、玉依姫(たまよりひめ)、豊玉姫(とよたまひめ)です。
神武天皇は「海神(わたつみ)」の血筋をひくことを誇りにしています。
神武天皇の東征には、安曇氏をバックボーンとする「海軍の力」が大きかったとみられるのです。
安曇氏は得意の海上交通をいかして、神武天皇の東遷に大きく貢献したとみられるのです。
このブログの始まりに宗像三女神のことを書きました。
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→このべんきょう会は終了しました
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