こんにちは!yurinです。
ピヨンチャン(平昌)オリンピック会場から、雪や氷の上で熱闘を繰り広げる若者たちの姿に感動させられる毎日です。
その一方で、近年まれにみるほどの豪雪となっている北陸地方の皆さまのご苦労な様子も、連日のニュースで拝見して心が痛みます。
……しかしその豪雪を乗り越える雪国の人々の秘める底力こそ、日本人を日本人らしくしてきた源泉ようにも思われるのです。
第26代継体天皇が育った福井県
37年ぶりの豪雪となった福井地方。
昨年秋に訪れた時は、こちらとまったく変わらない秋の景色でしたが、それから数か月後、これほどの違った風景になるのですね。
千葉県に生まれ育った私には、テレビの映像から知る豪雪の様子に圧倒されます。
一昨年の冬に、金沢市を訪れた時、傘を折ってしまうほどの、風の強さにも驚きました(汗)
雪が少し溶けても、朝夕の寒さで氷つくと、立つだけでも大変です。
なにげに歩くと、あっというまに転倒してしまいます……(大汗)
……ですが雪国の人たちは、雪かきや雪下ろしの重労働をこなして、日常生活をしていらっしゃいます。
古代天皇家の中興の祖ともいうべき第26代継体天皇の男大迹(おおど)王は、滋賀県でお生まれになり、福井県でお育ちになりました。
『日本書紀』は記します。
男大迹天皇(おほどのすめらみこと)は、誉田天皇(ほんだのすめらみこと)の五世(いつつぎ)の孫(みまご)、彦主人王(ひこうしのおおきみ)の子なり。
母(いろは)を振姫(ふりひめ)と曰(もう)す。
振姫は、活目天皇(いくめのすめらみこと)の七世(ななつぎ)の孫なり
(男大迹王(おおどおう)と呼ばれた若い時の継体天皇は、誉田別王(第15代応神天皇)の五世の子孫で、彦主人(ひこうしのおおきみ)の御子です。
母上は振媛(ふりひめ)と申し上げて、活目天皇(第11代垂仁天皇)の七世の子孫です。)
天皇(すめらみこと)幼年(みとしわか)くして、父(かぞ)の王(おおきみ)薨(う)せましぬ。
振媛すなわち嘆きていわく、
「妾(やつこ)、今遠く桑梓(もとつくに)を離れたり。安(いづくに)ぞよく膝養(ひたしまつ)ること得(え)む。余(やつこ)、高向(たかむこ)に、帰寧(おやとぶら)いがてらに、天皇を奉養(ひだしたてまつ)らむ」という。
天皇、壮大(おとこさかり)にして、士(ひと)を愛(め)で、賢(さかし)きを礼(うやま)いたまいて、意(みこころ)豊かにまします
(天皇がまだ幼い時に、父上はお亡くなりになってしまいました。
振媛は嘆いて
「私は、故郷を遠く離れてしまっています。これでは満足にご養育することはできません。故郷の高向(福井県坂井市)に帰り、両親の面倒を見ながら御子をお育てしたいと思います」とおっしゃられました。
時が流れて成人された天皇は、人を愛し賢人を敬い、心が豊かなお方となっておられました。)
振姫 高向の宮跡 説明文
母の故郷の福井県坂井市で育つ
男大迹王(おおどおう)の継体天皇は、幼い時に父上がお亡くなりになってしまいました。
それで母の振姫は、故郷の越前の国、高向(たかむく)の里へ帰郷されたのです。
福井県坂井市丸岡町高田にはゆかりの高向神社があります。振媛をお祭りします。
石川県境に近い、九頭竜(くずりゅう)川の下流域で、広々とした水田が広がります。
大変な豪雪の便りも聞こえて参りますが、雪のないときに訪れると、周囲はおだやかな山波に囲まれて、落ち着いて雰囲気がしました。
九頭竜川の河口には、有名な三国港があります。
敦賀港と並んで、海外へも開かれた、古代海運の拠点で、北陸第一の要衝地でした。
敦賀港
振媛や継体天皇の背景が偲ばれます。
古代に越(こし)といわれた地域は、この福井県の敦賀港や気比神宮から、新潟県の弥彦神社など、後の越前・越中・越後などの国々を含む、広大な地域の総称でした。
高向神社の近くまで車でいきましたが、神社巡りでよくあるのですが(汗)、あとひと息というところで、どこから入ったらいいものか迷ってしまいました。
畑で作業しているご婦人に伺ってみると、作業の手を止めて、小集落の反対側まで、快く案内してくださいました。
水田の中の集落の一画にあるささやかな神社ですが、きれいに整備されており、地元の方々が誇りとする神社であることがうかがわれます。
「あれ、雉(きじ)がいる!」と、夫が発見しました。
水田のあぜ道をちょこちょこ歩いていました。こういう場所で、雉(きじ)と出会えるのは、吉兆です(微笑)!
雉は”国鳥”です。遠くへ飛ぶのは苦手でも、
“国石”は越(こし)のヒスイでした!
継体天皇は、この地でお育ちになられたようです。
振媛は「両親の面倒を見ながら」とありますから、親孝行の女性であることもうかがわれます。
継体天皇は、父上を亡くしましたが、母と祖父母の大きな愛情に育まれて、雪国の厳しい自然にも鍛えられて、心身ともに立派に成長されました(大拍手)
人生の大半を、福井県で過ごされました。
県内には100か所以上の伝承地や、ゆかりの神社があるそうです。
継体天皇は、この地から活躍の場を広げて、名実ともに「越(こし)の大王」となっていったのです。
この坂井市の地名も、今年の豪雪のニュースで、耳にしました。
雪国の自然の中で育った継体天皇は、忍耐強く思慮深いお方であったと思われます。