越の国の旅「ヒスイの勾玉」邪馬台国時代も玉作りの拠点になっていた越のつづきです。
50基以上の古墳!新潟県内最大規模の古墳群
吹上遺跡から、高地性環濠集落の斐太遺跡へ向かう途中に、これまた国指定史跡の観音平・天神堂古墳群の看板がありました。
上越平野の遺跡や神社の概要は知っていても、距離感がつかめなかったです。
これほど密接して史跡が現れるのに驚くばかり。
千載一隅の機会なので、貪欲さが増して!車を止めていただきました。
1人で回るのは大変そうですし(大汗)
平成20年の妙高市教育委員会の掲示板です。
観音平・天神堂古墳群は17万㎡を越える面積をもつ県内最大規模の古墳群です。
北に位置する観音平古墳群では、現在のところ53基の古墳が確認されています。
最高所にある前方後円墳の1号墳は26.8mと4号墳(33.6m)は約1700年前にこの地域を治めた権力者の墓の可能性があり、近畿地方に中心をもつヤマト政権の支配が当地に及んだことを示しています。
(太字は古代史日和にて)
おりしも古墳のある丘陵上の木々の紅葉の彩りは美しく、下草もキレイに手入れが行き届いて、一面に落ち葉が散り敷いています。
少し古墳の森に入り込んで写真撮影をしていると、郷土史家の土田先生も、着物姿の日香浬先生も入ってきてくれました。
土田先生「不思議に落ち葉がそのまま土になって堆積しないから、古墳の形が今でもはっきりわかるんだよね。やはり古墳を見るならこの季節だね。」
私「そうなんです。長野の川柳将軍塚古墳も、90mくらいあるんですけど、真夏にいったりすると、草がぼうぼうと生えていて、どこが古墳なのかさっぱりわからないんです(大汗)……やはり古墳巡りするなら、秋の終わりから早春のうちですね。ついでに山菜とったりして(笑)」
……なるほど、森の中には、ところどころにポッコリと盛り上がったところがあって、一目で古墳と認識できました。
着物姿の日香浬先生も、草履でどんどん丘陵を上がって行くので、驚いてしまいました!
「このあたりはカタクリが一面に咲いて、名所にもなっています」と、日香浬先生。
「コゴミなんかも雑草みたいに生えています。」
そういえば以前「カタクリが、束になってスーパーで売っている」と日香浬先生に伺い、あ然としてしまったことも思い出します。
私「コゴミは雪がないとダメなのかしら?長野の(千曲市)夫の親せきの人たちは“新潟へ行って山菜をとってくる”と出かけますから。コゴミは格別に美味しいですね。天ぷらもマヨネーズも」
日香浬先生「マヨネーズのからしあえがいいですよ!」
私「千葉の農家で栽培したコゴミが売っていて喜んだのですけど、風味なかったです(汗)」
上越平野を見晴らす丘陵上の、晩秋の美しい森の中を、息がぴったり合った3人で散策しているのが、この上もなくうれしく楽しいひと時でした。
時間よ、とまれ!
弥生終末期の東日本最大級の遺跡
古代の楽しい会話はつづきます。
私「30年前の『ヒスイの里シンポジウム』の資料に、“斐太遺跡は弥生終末期の東日本最大級の高地性環濠集落”とあって、それを読んだ時、本当に衝撃でした!」
私「この前、福岡から来た方々も“高地性環濠集落”って言葉を聞いて、目がピカンて光ってました!」
日香浬先生「そうそう、驚いてましたね(笑)」
私「“比高はどれくらいですか?っ”て聞かれて、あせりました!」
それからあわてて調べて40メートル前後とわかりました(大汗)。
上越地域では、広々とした平野が広がっていて、田畑の耕作をする土地は十分にあるので、丘陵上の集落はとても珍しい感じがします。
釜蓋遺跡や吹上遺跡が発掘されて明らかになってくると、一番低い土地に玉作りの大集落があるのと同じ時期に、それと関連する丘陵上の集落もあるわけですから……
土田先生と日香浬先生は、つい最近『古事記』ゆかりの、奈良市の太安万侶の墓や大和郡山市の売太(めた)神社を巡ってきたそうです。
行きたいところ重なりますね~~!いつまででもお話しをお伺いしたいところです。
稗田阿礼(ひえだのあれ)を祭る売太(めた)神社を囲むように、稗田環濠集落があったそうです。
「深くて驚いたなあ」と、土田先生。西方へ行くほどに、戦争の深刻さも伝わります。
土田先生「太安万侶の墓は急斜面にあって、びっくりした!こんなところに、って思った」
私「あそこは太氏の先祖の神八井耳命(かむやいみみのみこと)の一族の聖地かしらと思うんです。
都祁水分(つげみくまり)神社や山口神社とかあって、大和の古い神祭りの地かと。太氏としては、精一杯の葬送をしたのではないでしょうか。真珠もありましたし。」
斐太遺跡の山頂付近は、戦国時代の鮫ヶ尾城があります。
謙信の死後の跡目争いで、景勝に敗北した景虎が自刃した場所として有名になりました。
大河ドラマの『天地人』で、玉山鉄二さんの景虎役が共感をさそい、今もお花が供えられて絶えないようです。
弥生時代の遺跡を訪ねると、戦国時代の山城や戦場に出会うことがしばしばです。
「弥生の戦国」という言葉は真実のようです。
つづく