越の国の旅【9】「ぬなかわ」はヒスイの川の意味のつづきです。
『万葉集』の「沼名川(ぬなかわ)の底なる玉」
ヒスイの原産地は日本に何か所か知られていますが、実際に利用されて全国に運ばれたヒスイ製品のすべてが、この糸魚川地方原産のヒスイであることは、科学的に分析されて判明しています。
そのヒスイの原産地の姫川支流の小滝川へ向かいます。
このヒスイの原石があるヒスイ峡は、国の天然記念物に指定されて、一般的な採集は禁じられています。
それで河川から流れてきた石が海岸に埋め尽くされる、通称の「ヒスイ海岸」で、ヒスイ拾いをしたことあります。
ヒスイ海岸
私などは、どれもこれもキレイな石に目がくらんで、一見地味なヒスイの原石は拾えませんでした(大汗)
千葉県の松戸市立博物館で「縄文時代の石斧展」がありました。
糸魚川市の六反田南遺跡の石製品が展示されていました。
糸魚川の工人たちは、スバラシイ縄文土器の製作もさることながら、他地域と比べて、実にさまざまな石を加工していた達人であったことがわかります。
昨年、福岡の河村先生のツアーでも、日香浬先生にヒスイ海岸をご案内いただきました。
さすがに、日香浬先生はササッと、たくさんの石の中からヒスイを採集し、賞賛されていました(大拍手)
ヌナカワの目利きの方々は、まず、ヒスイの採取に腕前を発揮するのでした。
さらに古代人にとってヒスイは、海岸だけでなく、やはり山奥の河川の底にある神宝と認識されていたようです。
長野県の白馬村の方から「春の雪解け水の季節にも、冷たい姫川に入ってヒスイを探したものです」とお伺いしたことあります。
「台風のあととか、流れて来たぞ~~って気合いれたりするんだよね」と、土田先生。
夫の実家の長野の民家の床の間に、ヒスイに限らず、色とりどりの石が飾られているのを目にして、驚くことがよくありました。
沼名川(ぬなかわ)の底なる玉 求めて得し玉かも 拾いて得し玉かも あたらしき君し 老ゆらく惜しも
(沼名川の川底にある玉。探し求めてやっと手に入れたこの玉。ようやく拾った玉。この玉のように、かけがえなく尊い、大切なお方ですのに、老いてゆかれるのは、惜しまれてならないのです。)
この歌によれば、『万葉集』の時代までに、ヌナカワが玉の産地として名高く、広く知られていたことがわかります。
ですがその玉を川底から探し出すのは、並大抵のことではなかったのです。
苦労して探してようやく手にした大切な宝だったのです。
『日本書紀』の出雲の神宝
さらに『日本書紀』の第10代崇神天皇の時代に、朝廷は吉備津彦と武渟河別(たけぬなかわわけ)を遣わして、反逆心を露わにする出雲振根(いずもふるね)討伐します。
その後に朝廷をはばかって、出雲臣(いずものおみ)が出雲大神を祭らないでいると、子供に神がかり歌ったといいます。
玉藻(たまも)の鎮石(しずし)
出雲人(いずもひと)の祭(いのりまつ)る
真種(またね)の甘美御鏡(うましみかがみ)
押し羽振(はふ)る
甘美御神(うましみかみ)底宝(そこたから)御宝主(みたからぬし)
山河の水泳(みずくく)る御魂(みたま)
静掛(しずかか)る甘美御神(うましみかみ)
底宝(そこたから)御宝主(みたからぬし)
(玉のように美しい水草の中に沈んでいる石
出雲の人が祈り祭る
本物の見事な鏡
力強く活力を振るう立派な御神
水底の宝 宝の主
山河の水から結晶した御魂(みたま)
静かに掛る立派な御神
水底の宝 宝の主)
この歌の中でも、特にポイントはこういうことなのかなと思います。
「玉のように美しい水草の中に沈んでいる石。
山河の水から結晶した御魂。水底の宝 宝の主」
鏡をよんだ歌ではなく、本当はヒスイをよんでいる歌なのでは?
万葉集の歌と重なっているような気がします。
ヒスイは、海岸で拾うというより山河で採取するものと考えていた
全体的なトーンは、『万葉集』の「沼名川(ぬなかわ)の底なる玉」と重なります。
一か所でてくる「鏡」は、伝承の過程での「神」の間違えのように思われるのです。
北アルプスの神々しいほどの大自然が育んだヒスイ。
まさに「山河の水泳(みずくく)る御魂(みたま)」です。
土田先生はヒスイの製作について述べておられます。
砥石に密着させ研磨する単純な作業が延々と続く……穿孔(せんこう=穴を通す)は至難の業である。それだけ貫通の喜びは大きい。
一個の玉を完成させるのに玉にこめた寺地縄文人の思いは並大抵のものではない。精魂こめて製作した玉は、自分の魂に等しい。自分の分身に等しいといってよいかもしれない。
譲り受ける側の人たちも石器つくりの経験から、当然それらの苦労や貴重な価値であることは認識できた……分身に等しいものが相手に渡されることは、相互に絶対的な信頼関係が成立してのことである。
(『地域學のススメ 越の国の実践・宝さがし」』
長く雪に閉ざされる冬の暮らしの中で、精神を込めて磨き抜かれたヒスイの玉は、春の清冽な雪解け水で洗われて、各地へ運ばれていったのです。
「天照大神が八尺瓊(やさかに)の勾玉を天の真名井で振り注ぐ」という意味は、そのような大自然の霊力が込められたヒスイを、清らかな泉でいっそう浄化する儀式であったでしょう。
「遠い遠い越の国には、見たこともない高い雪山があって、その山々から流れてくる清らかな川の底に、不思議な玉はあって、その山々の麓に「ぬなかわの里」はあるのです」……。
そのように神やどる玉の里として「ぬなかわ」は、ヒスイを手にした人々に語られたことがあったのでしょう。
悠久の大自然がおりなすヒスイ峡の神秘と驚異
30年前に小滝川のヒスイ峡へ向かったのですが……姫川から別れて、二等辺三角形の独特な山容の明星山から流れる小滝川にそって山道をのぼり、林道をかなり入ったのですが、途中で挫折してしまいました(泣)
何しろ、ナビもスマホも案内板もない時代で、長野県生まれの夫も、さすがの私も、行く先のわからない断崖の山道に恐怖を感じて、撤退したのでした(大汗)
……
それから時間が流れて、インターネットの普及、神社やパワースポットブーム、各市町村の町おこし村おこしで、日本全国のさまざま地の情報が入手できる時代が到来しました!
そしてこのたびこの上ないヒスイの師と女神さまに導かれて、ついに最高のパワースポットを訪れることができました。
ひたすら感謝です。
一度、別れた3人の女性と、ここでも再会することができました。
明星山のスパッと切り裂いたような岸壁が小滝川まで一気に落ちています。
絶え間ない水音と清流。山々から小滝川へ、清流が何本も流れ落ちています。
「昨日雨がふって、濁っていますが、本当にキレイな清流なんです!」と、日香浬先生。
山から切れ落ちて、清流にとどまる、ヒスイの原石。硬い石なので、一番丸くなってない石です。
それ以外のすべての石も美しい色合いです。
この大自然が造詣した聖域を、一目見たひとたちが、神々が授け給う神秘のヒスイとともに語り継ぎ、あのような場所を再現したいと、地元の各集落に戻って、「神ぬなかわ」を再現したいと、磐座(いわくら)や神籬(ひもろぎ)を築いたのではなかったろうか。
前を歩く二人の師、悠久の歴史と大自然。
しっとりと緑の苔の生える岩肌、赤や黄色の彩りの山々に、雲の切れ間から光がさしてスポットライトのように明るく照らしています。
この光景を心に刻んで忘れることはないでしょう。
ヒスイ峡に別れを告げて、これも土田先生のオススメの高浪池からの明星山を仰ぎました。
さようなら、神ぬなかわ!ほかの季節にまた来ますね。
さすがに第2代の綏靖(すいぜい)天皇のお名前(神ぬなかわみみのみこと)になるほどの由緒の地です。
この二日間、お二人の先生のご案内で、越(こし)の遺跡や自然のエッセンスを存分に享受させていただきました。
ひたすら感謝するばかりです。もっと深く知りたい気持ちは大きくなるばかりです。
………
糸魚川でつかの間の再会のあとの別れの宴。
いつしか先生のお友達も入り、現代のヌナカワヒコの石作りの達人、和歌の達人、筑紫の国から奴奈川姫のもとへやってきてそのまま住み着いたお医者の先生、お勤め帰りのお方も………
「奴奈川姫は絶対に他の土地の者に渡さないぞ!」。
土田先生にとって、教え子はみんな奴奈川姫なのでした(微笑)
万感の思いで新幹線に乗りましたが、つかの間の夢を見ていたような気持ちです。