yurinです。
こちらのブログの続きです。
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天の岩戸にたとえられる戸隠山に水の神を祭る
八ヶ岳、そして遠く秩父山塊から水を集める千曲川とは、善光寺平とよばれる長野盆地で犀川と合流します。
その合流点の中州が歴史的総称の川中島です。
戦国時代に上杉謙信と武田信玄が死力を尽くして、何度も川中島で激突したのも、局地的な地方の領土の争奪戦ではなく、日本海と東国、あるいは西日本から東日本への文明の十字路ともいえるべき要衝地を掌握するための覇権争いであったのです。
その要衝地に集まる中部山岳地帯の水を司る龍神さまとして、災厄をふせぎ恩恵をもたらす「水」の神様として、戸隠山の神々に人々は祈りを捧げたのでした。
戸隠山は天の岩戸にたとえられています。
実は戸隠山は、富士山や浅間山や八ヶ岳のように、山麓の里からその全貌を仰ぐことは難しいのですが、山々の合間にチラリと龍神さまの体の見るような荒々しい姿こそ、なんとも恐れ多いです。
それだけに戸隠山に近づいて、その起立して連なる「天の岩戸」にたとえられた戸隠山の全貌が見えた時の感動は大きいです(大拍手)
天皇家のご先祖は、このような日本の大自然の神域を大切にお祭りしてきたのです。
伊勢志摩の自然、筑紫の自然、熊野の自然……
その美しい大自然とともに皇室ゆかりの神々を合わせてお祭りしています。
中部山岳の戸隠神社もまた同じです。
ここでは「岩戸開き」ゆかりの神々をお祭りしてきたのです。
現代まで天の岩戸の神様の伝承が継承
『古事記』神話で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴狼藉に怒った天照大神は天の岩戸を閉ざしお隠れになってしまいました。
高天の原は、真っ暗の闇となりありとあらゆる悪霊と災厄に見舞われます。
岩戸開きの神「思兼命(おもいかねのみこと)」
その時に高天の原随一の知恵の神、思兼命(おもいかねのみこと)が思案をめぐらしたのです。
再び夜明けが訪れるように「常世(とこよ)の長鳴きの鶏」を鳴かせます。
それについてはこちらのブログでも書きましたので合わせてお読みいただければ幸いです。
幼い頃の夏休みに祖父母の農家で、にコケコッコ~~~の鳴き声を聞いて、夜明けを迎えた日々を思い出し、何とも懐かしい思いがしてきます。
思兼命(おもいかねのみこと)は「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」とも言われ、さまざまなものごとに通じた思慮深い神さまです。
「知」とういうものはともすれば冷たい印象をかもす場合もあるのですが、なんとも温かく心深い真の知性を備えた神さまであったのように思われるのです。
岩戸開きの神「石凝姥命(いしこりどめのみこと)」
岩戸の前には、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が、中国の鏡を真似て、賢明に製作した鏡が捧げられました。
(日田市古代史シンポジウム掲示資料より)
(日田市古代史
岩戸開きの神「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」
忌部氏の先祖の天日鷲命(あめのひわしのみこと)は、種から大切に育てた麻で作った織物を捧げました。
現在の大嘗祭にも捧げられるものです。
フォトは昨年秋の大嘗祭の時に献上された麻織物の素材から残った「オガラ」です。
京都府宮津市丹後国一の宮籠(この)神社へ、麻織物を奉納する方から頂戴したものです。
大嘗祭の時に、皇室に麻織りものを献上する阿波忌部氏の三木家の麻の製作のお手伝いに参上し、おすそ分けいただいたそうです。
戸隠神社の古代史フォーラムのために運んで来て下さった方がいらっしゃいました(涙)
今もこうした神話にちなむ宮中の伝統が継承されていることは、実に驚くべきことですが、日本人として実に誇らしいですね^^
続く