尾張氏断夫山(だんぷざん)古墳から本居宣長「松阪の一夜」まで

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こんにちは!yurinです。

今月始めの日曜日に開催した古代史サロンは、会員の3名の方々による「古代史のここが好き」を語るプレゼンテーションでした。

その後の質疑応答や感想のやり取りの中から、日本の歴史のトータルな面白さを楽しむ勉強会となりました。

 

豪雨被害のニュースには、身につまされるような痛みを感じます。

自然の脅威と向き合い乗り越えてきた先祖たち。

と同時に自然の恩恵を享受して、和の精神を育んできました。

日本の歴史は、連綿と継承されています。

1.国学の四大人(しうし)

日頃から、神社を訪ね、神社検定の勉強に励むゆだぽんさん。

江戸時代の国学を代表する偉大な四人の国学者=四大人(しうし)を、語ります。

四大人(しうし)とは、

荷田春満(かだのあずまろ、1669~1736)
賀茂真淵(かものまぶち、1697~1769)
本居宣長(1730~1801)
平田篤胤(ひらたあつたね、1776~1843)

です。

江戸時代に起こり、興隆した国学は、現在の「神道・国史・国文・国法」など広い分野を包含する学問で、仏教までも研究領域になっていました!

江戸幕府が封建体制の根本にすえた中国伝来の儒学とは、対極をなすこともでてきます。

主君や目上のものをたてるばかりでなく、「師の説になずむべからず」などの教えもあります。

 

学問においては、ひたすら師の説に従わなくてもいい、是々非々で考えよ

というものです。

新たな学問の開拓には、新たな知識や考察が大切だったのです。

 

さらに封建道徳の「男尊女卑」に対して、女性尊重の側面もありました。

『古事記』にでてくる女性は、決して男性の下に控えていないですものね^^

 

国学の創始者として、初代将軍の徳川家康(1543~1616)があげられます。

天下泰平の証しとして文教政策をすすめ、日本の古書の価値を知らしめて、和学を奨励したのです。

 

国学の祖とされる荷田春満(かだのあずまろ)は、京都の伏見稲荷の社家の出身です。

国学者としては地味な存在ですが、その精神と研究方法は、次世代へ継承されました。

 

僧の契沖(けいちゅう、1640~1701)は、普及の名著とされる『万葉代匠記』を、さらに賀茂真淵(かものまぶち)は『万葉考』を著しました。

賀茂真淵は、八代将軍の吉宗(1684~1751)の次男、田安宗武(たやすむねたけ、1715~1771)の和学御用(国学の家庭教師)でした。

 

本居宣長が師と仰いだ賀茂真淵との関係は、感動的です!

二人はたった一度の対面です。

江戸からお伊勢参りにきた賀茂真淵のもとにかけつけて、対面を許されたのです。

2人は一晩語り明かしました。「松阪の一夜」として、以前は有名な話でした~!

宣長はその時の教えを終生忘れずに、国学に邁進し、普及の大著『古事記伝』44巻(『古事記』の注釈書)を完成させました。

 

平田篤胤は、本居宣長を尊崇し門下に入ろうとしましたが、宣長は亡くなってしまったのです。

……ですが、彼の志は認められました。

2年後に、没後の門下生として、「鈴の屋塾」(宣長の塾)に名を連ねたのです(大拍手)。

幕末から明治維新という変革期に、思想的な背景として大きな役割を果たした人物です。

2.古代妄想

二番目のプレゼンテーターは、サエンティストで、会社経営にも携わる小杉さんです。

古代史の世界に入り込み、紆余曲折しつつも、「古代妄想」を楽しむ現在を語ってくださいました。

確かに古代史学者の安本先生は、常々「古代史の世界は、誇大妄想ではないが“古代妄想”の世界が広がっている」ことをおっしゃいます^^

まさしく小杉さんは、積極的に「古代妄想」を実践され、古代史を楽しんでいるそうです。

そんな小杉さんが、古代のスーパースターとして尊崇するのが藤原不比等(659~720)とか!

今日は、不比等に入るのでなく、古代妄想のノウハウを語ってくださいました。

 

30才の頃、「そういえば日本のこと知らないじゃん」と気づいたそうです。

そして古代史関係の本を次々と読んでいくうちに、「結局、事実は何なのか?」「人によって言っていることが違うで!?」「タイムマシンでもないかぎり本当のこと、正しいことはわからない。」「みんないろいろな理由をつけて自分の考えを押し付けている」

……「そうだ!妄想しよう。妄想はだれにも迷惑がかからない」と思ったのです。

 

ですが、これについて一番困ったのは「話す仲間がない!」ということだったのです(泣)

……そしてついにFacebookで「古代史Cafe」にたどりついたそうです!(※古代史Cafeはもう一つの古代史コミュニティです)

ところがなんと古代史Cafeは女性限定だったのでした。

男子は参加できない、とがっかりしていたところ、めでたく「古代史日和」がスタートしたのでした(大拍手)

小杉流妄想3か条

  1. 自分の妄想を人に押し付けない 
  2. 人の妄想を否定しない
  3. 古代人に敬意を払った妄想をする

オススメ妄想タイム

  1. 移動中(通勤、散歩)
  2. 就寝前
  3. パチンコ

 

「自分だけの古代史妄想をしつつ、真実はアナタの中にあればいいのです」と^^

3.尾張氏と日本武尊の伝承のある愛知の古墳

ラストは、今年の始めに「奈良の都の大女帝~孝謙天皇~」をお話しくださった市川先生です。

名古屋からお越しくださいました。

午前中は、東京国立博物館の「縄文1万年の美の鼓動」展を鑑賞し、大いに感動して時間が足りなくなり、あわてて古代史日和へ駆けつけたのでした。

「いやあ、縄文時代、スゴイなあ!」と、まずそちらの話題から入ったのでした。

本題は名古屋の古墳です。

愛知県名古屋市熱田区の断夫山(だんぷざん)古墳は、全長151m、後円部80mの東海地方最大の古墳です。

伝承では、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃、宮簀媛(みやずひめ)が被葬者です。

 

日本武尊は、東国へ赴く前に、夫婦の契りを結んだのが、国造(くにのみやつこ)の尾張氏の娘の宮簀媛(みやずひめ)でした。

東国平定し、2人は再会し夫婦になります。

そして日本武尊は草薙(くさなぎ)の剣を、宮簀媛(みやずひめ)に托し、伊吹山(いぶきやま)の神を討ち取るために旅立ち、病によりなくなってしまいます。

悲しみにくれた宮簀媛は生涯、「夫を断ち(断夫)」亡くなったのちにここに葬られた、とされるのです。

 

この古墳は年代が合わないといわれますが、すぐ近くに草薙の剣を祭った熱田神宮、日本武尊陵墓と伝える白鳥陵など、伝承が残る地域なのです。

白鳥塚古墳(名古屋市守山区)は、4世紀前半の前方後円墳で、愛知県第3位の大木さを誇ります。

被葬者は国造の尾張氏とされます。

尾張氏は岐阜方面から来たとされます。

 

尾張氏は、天火明命(あまのほあかりのみこと)の子孫です。

100基を越える志段味(しだみ)古墳群中で最古の古墳です。

 

上ってみると前方部の高さと比べて、前方部が極端に低く、古墳の古い形です。

山頂部に石英が葺石に撒かれています。

庄内川を舟で往来する人々が古墳の山上を仰ぐと、「光輝く古墳」に見えたはずです。

「日本武尊を運んだ白鳥が力尽きて、その白鳥を日本武尊が葬った」という伝承もあります。

 

東谷山(とうごくさん)の古墳もまた、志段味(しだみ)古墳群にあります。

東谷山は、名古屋市内で最も高い山(200m)です。

4世紀築造とされる3つの古墳があります。

 

1.尾張戸(おわりべ)神社古墳(円墳、直径28m)

山上に尾張氏を祭る神社があります。東海最古の円筒埴輪が出土しています。

2.中社古墳(前方後円墳、全長64m)

3.南社古墳(円墳、全長64m)

 

東谷山(とうごくさん)は古代より霊山とされ、尾張氏の拠点であり、古くは「尾張山」と言われていました。

尾張戸神社は、宮簀媛の創建とされ、神社の奥の院として信仰されてきました。

 

春日井市の味美(あじよし)古墳群もまた尾張氏ゆかりの古墳とされます。

最大の二子山古墳は、西暦500年前後に築かれた前方後円墳です。

尾張氏から継体天皇妃になった目子媛(めのこひめ)との説があります。

この目子媛の二人の皇子、(27)安閑天皇・(28)宣化天皇として即位しています。

壬申の乱(672年)のとき、この付近の尾張氏が、大海人皇子(おおあまのおうじ=(40)天武天皇を助けて活躍したといわれれます。

 

その一方で、大海人皇子に敗れた大友皇子((39)弘文天皇)の伝承も、岡崎市にあるのです。

岡崎市小針古墳群は、旧三河国矢作川の西岸、14基ほどある古墳群です。

小針1号墳は直径17mの円墳ですが、壬申の乱で大海皇子に敗れた大友皇子の古墳とされます。

この地に落ち延びて、ここで暮らし、崩じた後に築かれたとするものです。

 

時代的に合わないそうですが、大友皇子創立とされる玉泉寺、大友皇子を祭る大友天神社、大友町があります。

住職をはじめ、大友皇子をお祭りする信仰は厚いのです。

大友皇子の母は身分の低い伊賀采女(いがのうねめ)などでなく、もっと高貴な女性だった、と伝えられているそうです。

……

3名の方々のプレゼンテーションの後、合わせて質疑応答・感想など自由に意見交換がなされました。

 

「師の説になずむべからず、など今の学者も学んだらどうか?」

「国学などいっさい学ばないでのが現在なんですよ」

松阪の一夜のようないい話しは教科書に載せたらどうかな?」

「戦前の国定教科書にありましたけど、戦後は載らないんですよね」

「奈良に住んでいたけれども知らないことが多いのでこれから勉強したい」

「炭素14年代について、年輪年代と桃の種の違いについての見解を」

「藤原不比等はご落胤だと思いますか?」

「国学の創始者としての家康の功績をもう少し詳しく知りたい」

「尾張氏は岐阜方面から来たそうですが、高座結子(たかくらむすびみこ)神社の弥生時代の遺跡は尾張氏でないのですか?」

「縄文アニミズム信仰はたいしたもの」

 

限られた時間の発表でしたが、地元の古墳と伝承、古典研究の始まりの国学、科学的見地からの古代史像、縄文アニミズム……など、実に古代史の広がりと奥行きと面白さを感じさせてもらえる時間となりました。

この楽しいひとときが、それぞれの古代史像の探究や構築に、何かしら示唆を与える時間になったと思います。

プレゼンターの小杉さんは「妄想」とおっしゃいましたが、そこに気づくことで、古代史探究の門の扉は開かれたのではないでしょうか?

古代妄想とは古代史像の構築

「妄想」とは「構築」でもあると思います。

さまざまな先人たちの古代史の考察を尊重しつつも、取捨選択しながら、全体的に整合性ある古代史像を、自ら築いていく道のりへのスタートです。

そのように主体性を持って古代史とのふれ合いが可能になれば、どんな講演会を聞いても、どんな本を読んでも、どんな博物館や神社を訪れても、古代史の無限の楽しさを享受できるようになると思います。

 

第二次大戦後に学問の自由が保障され、初めて日本の古典が一般人の男女に開放されたのです。

敗戦の後遺症からそろそろ脱却する時期にきています。

 

各地域から豊富なネット情報が入手できるようにもなりました。

遺跡や神社探究の交通のネットワークも広がっています。

日本の古代史像の構築は、むしろ開かれて新しく、可能性を秘めています。

実に楽しみですね!

 

なお、次回はKさんが、得意分野をいかして、サロンを仕切ってくださるとのこと、さっそく待ち遠しくなります。

興味が湧いた方は、ぜひご参加くださいね。

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